篠田桃紅さんの本、「人生は一本の線」を読みました。104歳美術家、珠玉の作品集とあります。
本の終わりに、若い人へと呼びかけて以下のような文章が続きます。
わたくしは、正真正銘の老いを感じています。
老いた・・・・。
老いに老いました。もうこれ以上、老いようのないところまで老いたのですから、もうあとはは死ぬしかない。
老いに老いた以上、もう先はないのですから・・・・・。
これ以上、老いるというのは、一体、どこまで老いることができるのでしょう。
少しずつ、出来ないことが増えて、しまいにはなにも出来なくなる。それで死ぬのね、きっと(笑)。
こんなに長生きするとは、自分でも思っていませんでしたから、こうして老いる、ということの実体を、正真正銘リアルな老いを、しみじみと味わっています。
そして、すこしは若い人に伝えておいたほうがいいかなと思って、あなたに伝えています。
このあと非常に興味深い文章ですが、8ページも続きますので残念ながら、引用はここでやめます。
ここまで読まれてどう思われますか?
わたくしは素直な人間なので篠田さんは心から自分は老いたと実感され、これ以上はもう老いることは出来ないと書かれたのでしょう。
でもこの文章は老いているでしょうか。
この本では、見事な筆致で自分の書きたいことをかいています。
氏の心のありようは若々しくみずみずしい。
どうも氏は精神と肉体は関係はあるものの、体はどんなに老いても精神というか心はほとんど老いずに生きていけるとおもわれているようです。
104歳のかたの証言です。文章という証拠によって、証言しています。科学は、老化の科学はこれを容易に説明できるでしょうか。この文章は頭脳の老化と、他の部分の肉体では老化はかなり異なることをしめす証拠かもしれません。
氏は以下のようなことも書かれています。
歳をとった人が、心ゆくまで後悔するために、静かにしておいてあげなさい。自分も心ゆくまで後悔するために、静かにしておいてあげなさい。自分も心ゆくまで後悔したい。後悔することで魂が休まる、と。
中原中也の詩を掲げて、なんていい詩だろう、歳をとった人の心境を的確に表現していて、彼は天才ですね、と述懐されています。
書かれていることが新鮮で生々しく、こういうことを氏の年齢で書けるのならわたくしもこういう風に年をとって見たいと正直思いました。
今日はこういうことを書きたかったのでなく、心や精神や思考のための頭脳活動の老いかたというのはどういうものなのだろうという素直な疑問を書きたかったのです。疑問を書けばそれで目的は達します。
篠田氏の肉体は氏が言うように老いたかもしれないが、この文章から判断する魂をもった心、そして思考能力はまったく若々しい。特殊な個人としても、どこに体の老化との差の実感が生まれてくるのだろう。
わたくしのように人生のほとんどすべてを、どんな摩訶不思議な生命現象もすべて分子の言葉で説明できると確信して来た人間にとっていかなるmoleculeが関わってこの精神の若々しさが保たれるのか、調べて見たい、と思うのです。こういうことを考える時には一瞬、若かったらいいのに、と思います。
でも、いまならそれを調べるすべをごく一部なりとも手中にしてきたと思いだしているのですが。