東日本の大震災ご6年目の日です

仙台には折々に訪問することがあっても被災地へは長いこといっておりません。

被災地がなかなか正常にもどる気配はないように見受けています。
被害があまりにも大きいのと、また津波に対する対策が巨大過ぎて途方もなく長い時間がかかるのでしょうか。
原発被害地の福島になるともう時間のスケールは非常に長くなるような気がするのですが。
しかし、実は被災地は帰還が可能な地域になっている部分が最近相当に増えているようです。
放射能被曝の度合いは気をつけると相当に低く事実上影響なく生活をすることが可能になっているようです。ただ、専門家の間では議論に差があります。しかし、生活者はどれかを許される中で選択しなければなりません。
日本全国のなかで福島県だけがこのような目にあうのはあまりにひどすぎるとおもうのです。
しかし、こういう問題は誰かと話し合わないと見えてこない部分がおおいのです。そういう人は周囲にはなかなか居ません
わたくしも女川と石巻は確かに行きまして、いかなければ得られないものは得ました。
しかし、これもその後の生活の一部にはなっていなくて、その訪問時が点のようになって記憶に残っているだけです。
幸い今年はあと二回東北にいく機会があるので、見聞と体験の巾を拡げる努力をすることが可能でしょう。ちょっと期待しています。
6年前のブログを今日は久しぶりに読んでびっくりしました。
あの頃は、勢いがあって、元気のよいこと。今と呆れるほどの差があります。
なぜそうなのか、わたくしにとってわかりきった理由があるのですが。
しかし、ここまで差があったのか、と苦い気持ちを持たざるを得ません。
この6年間、沖縄での職場では何があったのか、研究の遂行はいろいろ難しい問題に直面していますが、なんとか出来る。それどころか、我ながら感心するくらいうまくいっている。成果という観点からみれば。
しかし研究の根底にあるべき、精神のもっとも大切な部分は、どうだろう。
わたくしの内面には間違いなくあるのですが、しかしそれは発揮出来ない。
なぜ発揮できないのか、それを納得できるかたちで外に説明出来ないことがこの5年以上の困難な日々の根底にあるのです。
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