日本のコロナワクチン作成の努力の流れのようなものをネットで読める記事から理解することができました。もちろん表面的な理解ではありますが。阪大の森下竜一教授の新聞でのインタビューは事実をわかりやすく述べていて分かり易い。スタートは早かったが途中から色々な技術的困難に出会いまだできてないことを淡淡と感情をまじえないで説明してます。ただ何が一番の困難であったかをはっきり言って貰えると読者は助かる。いずれにせよ残念だなという気持ちは強いがでもワクチンの大量接種に至るには大分距離があったようです。惜しかったという段階にいったのか。今後どうなるのか、森下氏にはぜひとも今後リターンマッチでの勝利をものにしてほしい。
このインタビューでわたくしが一番分かり易かった部分は自分が学生だった時代に遡って、日本ではワクチン接種は公衆衛生の分野が担当するといいう認識だったというものです。公衆衛生は英語ではpublic healthですが、こっちのほうがわかりやすい。ワクチン接種はhealthともちろん深くかかわるでしょうが。欧米では、むしろ安全保障という観点で管理されていると聞いてます。森下氏のインタビューでもこのあたりは軽く触れられているだけですが、現場では大きな違いが起きてくる。つまりワクチン接種は国防とか社会の安全保障に密接に結びついている。それ故研究資金も民間もあるだろうが、国の資金が大きく、必要性は国家的に保証されている。それゆえワクチン作成もいざとなれば国家のもっとも枢要な任務であり準備の需要性は国防的観点からも発想され遂行される。
わたくしのような世代のような人間には東京にあった、昔の伝染病研究所や予防衛生研究所の重々しい建物内の雰囲気や、公衆衛生分野が軍が担当する大切な任務とはすぐ納得できますが、それは遙か昔の時代のことのできごとであった。北里柴三郎博士の時代から理解し直す必要性もあるかもしれない。
コロナ禍への対応には先進民主主義国家では苦戦しており、専制的な国家体制ではみかけうまく押さえ込めているのをみると問題解決のための考慮すべき「根っこは非常に深い」とあらためて感じます。
日本のコロナ対応はいまだ道半ばであり、本当にすぐれた人材の活躍が強く望まれます。いまや多くのひとびとが強く感じているように、日本という国家の浮沈がかかっている。