2005年12月31日

万事デジタルの世の中となってきましたので、今日がいつどういう日で、何時何分に何があったのかと経過的に記していけばなにか全体が分かるかのような錯覚があります。
もちろんそんなことは、全くないのでしょうが。
しかし、タイトルに一度くらい日付を入れてみるのもいいでしょう。
今日は、特別な日ではないのですが、でも2005年という年の最後の日であったと言われれば、なにか格別な感もあります。
この一年、いろいろな出来事が世界中でまた国内でありました。
わたくしも個人的に大きな変化がありました。この9か月、変化に適応する期間でもありました。いろいろなことがありましたので、ずいぶん長く感じました。

大学での仕事は研究以外は何もしてないので、忙しいとはいえ、気分転換にこのブログは大変役に立ちました。わたくしは、日記をつけたことがほとんどないのですが、一時短い職業的なメモ的な日記を書いていましたが、それもこんなに続いたことはありません。読者の存在を意識していますので、長く続いたのはまちがいありません。
当然ながら、ほぼリアルタイムで公開していることから、書く内容とかにいろいろ気をつけなければいけないことはだいぶ学習しました。

このブログを始めた頃のニュースを見ると、西武の会長が株操作で逮捕されました、またソニー経営が不調で、トップが外国人に変わったということでした。世相はなんだか淀んでいるような感じがありました。
夏の頃にあった、「小泉劇場」というのですか、衆議院選挙があり、その結果郵政民営化が完全に支持される結果がでました。そのせいか、どうかわかりませんが、その後は、株式の値段が上がり続けてきたようで、大晦日の新聞を見ると、株は40%も年初から上がっているようです。株は庶民も参加しているのでしょうから、懐が潤った人たちも相当いるのでしょう。
やはり不況は脱したのでしょうか。米国の経済動向を金魚の糞みたいにフォローすることも最近ではなくなっているようですし、京都のようなあまり変化しない町ではたらいていても、なにかすこし変わってきていることを感じます。

個人的には、沖縄のことがわたくしなりにすこしずつ見えだしてきました。
いまは、わたくしに何ができるかということを、考えてます。たぶん、2006年にはもっと具体化して来ると思ってます。
もう一つ個人的には、2006年には京都で溜まった(失礼)学位未取得者を全部一掃(失礼)すべく全力投球だなと、思っています。というか、そういうことが言えるような状況になってきたので、わたくしの心は大変明るいです。

そういうわけで、個人的には2006年早く来いです。
しかし、大学にいまだ生息させて頂いている立場としては、大学運営が全般的に後ろ向きのようで、気がかりです。

書類作りが目的化してしまいがちで、会議をやったという実績で安心してしまうし、それに組織が出来たのだから、これでいいだろうとおもいがち
外科手術は成功したけれど患者は死亡しました、というフレーズに似ていて、教育改革はりっぱに成功しましたが、学生の意欲は死にました、という感じになりがち。
このあたり、自分はもう終わった人間なので、引っ込んでればいいのでしょうが、でも
どうも口をださないといけないのではないか、などとこのあたり迷いがあります。そのあたりも2006年でははっきりさせたいものです。

大晦日、次男がやはりちょっと帰るということで、年越しは3人でということになりました。次男は博士学位論文の準備で忙しいのでしょうが、一休止と親孝行もかねてきたのでしょう。妻が急に元気になりました。長男はフランスで、娘の家族は桑名で正月を迎えます。みんなが元気に健やかに今年過ごせたし、また来年も同じようにと願う点ではわたくしもやはり家庭人です。
今年の紅白は視聴率50%を絶対越えるというディレクターの言とか。これも、視聴率をあげようとする作戦のひとつでしょう。
SMAPというのは特別歌の下手なグループという印象があるのですが、それが最後とは、なんだか変ですね。そのあたりが理屈でないなにかがあるのでしょうね。

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