日曜日ですので、別な話題にでもしたいのですが、このあたりでこの阪大での捏造問題対応にたいする批判を終わりにしたいと思うのでちょっと結論めいたコメントをします。
わたくしは、別に運動家でも活動家でもないし、現場の研究者として声をあげずにいられなかったので、これまで意見を述べたものです。
わたくしは、これまで大阪大学全般に常に好意的でしたが、今後なにかよほどのことがない限り、そういう気持ちは消え失せました。しかし、別に悪意をもつというのでなく、ニュートラルになるというだけのことです。
わたくしの知るほとんどの医学、生命科学系の阪大教授はこの問題について、おそろしく口が堅く、いっさいなにもわたくしは聞きもしないし、知っていませんでした。しかし、最後に出てきた結論がこれでは、いったい彼等はどういう役割を演じていたのでしょうか。途中で声をあげることもしなかったというのは、このような結論を承認、追認していたとおもわれてもしかたないでしょう。これも説明責任の範囲の問題のひとつでしょうね。わたくしは、まだ遅くはないので、ぜひいまから出来る対応を考えて欲しいと思います。
この当局の対応が出た以降、現場での実際的な問題の始まりという認識でいて欲しいものです。つまり、現場ではこれからが真の対応がはじまるのではないでしょうか。
これまでわたくしの耳に阪大医学部や病院についてのネガティブな体質についていろいろな噂的なことが入ったことがありましたが、そういうことはすべて一蹴してましたが、今回のことの顛末を見てると、本当かもしれないと思うようになりました。
ある意味で、巧妙な宣伝によって、阪大のとくに臨床系のほうの格はじっさいより高く評価されていたのかもしれません。
わたくしは、信用とか信頼というものが、研究や医療とかにおいて、もっとも大切なものと思っております。
多くの人達は、先験的に大阪大学の研究や医療に高い信用と信頼を持っていたでしょう。しかし、今回の出来事をみると、どうも相当に疑ってかかった方がいいのではないかと思いました。この組織防衛的、秘密主義的体質さらに主宰者レベルでの責任のとらなさ、は深刻と思いました。
わたくしの考えが、大阪大学における例外を一般化していると批判する方ももちろんおられるでしょう。ですから、理性としては、一般化は決してしません。しかし、わたくしは、この次元の低い対応を見ると、一事が万事と考えたくなる、心境です。
きょうは、これからゆっくり散歩でもして気分を晴らしたいと思います。