まあいいのではないですか

ここのところ数日で書いたことについて、何人かからメールを頂きました。
お一人は、米国でおきた著名な捏造事件が発覚する端緒というか、捏造データそのものを論文のレフェリー段階で見抜いたという、エピソードを知らせていただきました。
やはり、身近に捏造を経験した人は、意見が近くなってくるのは、捏造こそが、われわれがもっとも批判すべき行為だということを身をもって分かるからだとおもいます。

オリンピック、結果が芳しくないということになってますが、それは国内の予想というか評価が高すぎたのではないですか。
実力がこういうものであることが、周囲の人達(マスコミも含めて)を分からなかったということですね。結果がでればそういうことがわかってくるのですね。たしかに期待が高すぎると、失望するので、だれかに文句も言いたくなるかもしれませんが、しかし、誰に言うのでしょう。

われわれには、「進歩幻想」なるものがあって、前よりは今回のほうが良くなる、というなにか確信みたいなものを持つことがありますが、そんなことは決してないのですね。進歩があればラッキーで、なければ、まあいいのではないですか、ということになりませんか。それに進歩がラッキーと感じるのはごく短期間で、時間がたつと、あの進歩はなんだったのだと、納得のいかないことが多すぎます。

わたくし、高校生の時に、仲の良かったK君が、しきりに昔は良かった昔は良かったというのを聞いて、不審に思ったことがあります。
山行のあいだの歩きながらか、それともテントの中だったか、彼になぜ昔は良かったのとそうしきりに言うのか聞いてみると、それから約1時間くらいえんえんといろいろ昔は良かったという、過去の「甘美体験」とでも言うのでしょうか、いまと比較してどんなに良かったのか(大半は家庭でのできごとでしたが)を聞かせてもらいました。これが、わたくしが知った最初の進歩幻想をまったくもたない人物でした。
それ以来、昔は良かったとわたくしの前でしきりにいう日本人は聞いたことがないのです。でもそろそろそういう日本人が沢山出てきて不思議はない時代かもしれません。
オリンピックについても昔は良かったといえば、いまの若者には案外受けるかもしれません。音楽なんかも、いまでも60年代や70年代のロックなんかが受けてます。若者に期待しすぎて、彼等をつぶすより、昔は良かったなんていってるほうが、いい大人なのかもしれません。
案外一部の若者には、どう良かったのか理解しようとする人達もいて、話しもはずむかもしれません。

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