残された父親の絵

ここのところ、父親の絵の整理をしなければならなくなり、着手したのですが、なかなか時間がかかるものです。母も数年前に亡くなりましたので、昨年、子供達、孫たち、それに親戚などのあいだで分けたのですが、それでもわたくしのところに残ったのは相当な数です。まだ家を持たない息子二人は我々に持ち分を預かってと依頼していることもあります。

父は主に静物を描いていて、若い頃は干からびた燻製のニシン、暗い色の陶器壺、それにガラス器とその中に入った変色した西洋なし2,3個などを手作りの机の上に白い波打った布とともに、置いて、非常に重厚な油絵を描いていたものです。父の尊敬したセザンヌは売れないことでも有名ですので、本人も絵が売れないのは当然という態度でしたし、そういうセザンヌ的な描き方の絵にかなり満足していたのでしょう。若い頃はよく、尊敬する評論家のかたの受け売りで、セザンヌにも沢山駄作がある、といってました。年をとってからは、気持ちも変わったのか、すこし明るい絵も描いたり、カンバスに付いた絵の具の量も減りました。それでも、冬瓜を主題にした絵を発表することが多くて、ごく一部の愛好家を除いて、買いたいという人はあまりでなかったようです。展覧会などで発表した静物画の多くは大きな絵が多くて日本の家屋ではかける場所もあまりないでしょう。
父親の自己評価は低かったようですが、小さな作品、10号程度かそれ以下の大きさのもので、風景とか、花とかを対象としたものに、なかなかいいものが多いことに気がつきました。毎日見てもあきないし、さすがだなあと思うことがしばしばあります。わたくし自身もかなりの愛着を持つようになりました。
これらなら、手に入れた人も嫌がらずにずっと壁にかけてくれるでしょう。しかし中には、絵の具が落ちたり、裂け目が出来てるのもありますし、ほんのわずかな期間しか描いてなくて未完成なものもあります。経済的に潤沢でない頃に描いた古いものの中にはやはり絵の具の値段を節約したからもしれませんが色がくすんでしまったものもあります。しかし、それらも皆わたくしにとっては、父の歴史を語りかけるものです。

絵のかなり多くは額縁が付いてないので、小品は一点ずつ、額縁を買って自宅や大学のわたくしのオフィスにかけて楽しみだしてます。しばらく置いてから、順次お世話になった知り合いで絵の好きなかたたちにさし上げようと思っています。4,5年かければ小品は大部分整理出来るのではないかと思い出しています。
そうでないと、今度は妻の描いた日本絵がだんだん家の中であふれるようになりそうです。妻の絵は一部に愛好する人が出てきてるようで、買いたいという人も出そうですが、本人は惜しいと思うのか、売る意欲がまったくありません。一点以外はすべて家にあります。

そういえば、父親もどちらかというと、絵を売りたがらないほうでした。大事な絵をいつまでも手元に置いておきたいという気持ちが強かったようでした。絵で生活する作家の多くは、人気があった絵の類似したものを沢山描いて、いちばん気に入ったものを手元におくような傾向があることを聞いたことがあります。
若い頃から、父親の友人には変人が多くて、滑稽なエピソードもよく聞いたものでした。そのうちのひとりは、戦後の困窮期に自転車とかリアカーに絵をのせて、さおだけを売るような声色を出して、「絵はいらんかねえー」と住宅地を歩き回ったそうです。もっと才覚のある人は、喫茶店とか不動産屋に飛び込みで持って行くとたまには売れるのだそうですが。

父が戦争へ出征する前に赤ん坊のわたくしを描いた絵も一点ありまして、格別面白い作品ではないのですが、まだ30そこそこの当時の父がどのような気持ちでこの絵を描いたのか、と考えることもあります。
これから整理する過程で、父の絵がそれぞれどういう運命をたどるのか、それを決めるのがわたくしの責務のようです。そのために、亡父と対話をする必要がありそうです。

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