時代の変化を起こすWBCでの一勝

2006年は日本の歴史において、米国で開催された初の野球世界一を決めるWBCで日本がキューバを破って頂点になった年として記憶されるべきなのかもしれません。
韓国に3連敗した場合と、勝って決勝に進んだのとでは天と地の差があります。
パトリオット、イチローはその差を熟知していたに違いありません。彼を激しくブーイングした韓国ファンもそのことを熟知していたのです。
たった一勝ですが、今後10年間日韓関係に大きな影響を及ぼしかねません。冗談でなく。
いわんや、米国との関係でも。宗主国米国と属国日本の関係は、野球にそれがいちばん現れていたのではないでしょうか。
それが、世界一の日本の野球ということになれば、日本人は今後野球に何を望むのでしょう。始めて余裕を持って、周囲のことが見えてくるのではないでしょうか。この出来事は日本人の多くに強烈な覚醒作用をもたらしたにちがいありません。

そして、もしも、この2006年に日本をめぐる世界のそして東アジアの政治情勢がなにか質的に変わればそれに付随した、もしくはそれを象徴する出来事として、このWBC優勝は記憶されるのでしょう。

世界の中で、日本はまたまたrising Japanになりつつある、もうすこし謙虚にいえばJapan is backなのでしょう。経済的にも社会情勢的にも政治的にも落ち着いた国情です。
しかし、日本をめぐる国際情勢はほとんど変化が起きておりません。しかし、その変化なしの状態がいつまで続くのでしょう。日本がヒステリックに叫んだりせず要求することを正当に要求していけば、ますます、持つべき影響力と置かれた現状の乖離が明白になるでしょう。

日本の野球を、米国人がみくだすことはもう決してないという意味で、日本で起きている出来事を軽く見ることは米国にとって出来なくなるでしょう。そうでなければ、野球以外のことで同様なことが次々に起こるかもしれません。

日本は国連では米国につぐ最大の基金を払っているにも関わらず、敵国条項に縛られています。さらに安保理の常任理事国になる案に、隣国の韓国と中国は猛然と反対しています。これら二国は今後この件からの波及で日本と良好な関係を保てると確信を続けられるでしょうか。まちがいなく見直しがあり、露骨な反対はだんだ弱くなるはずです。特に日本人の多くは安保理の常任理事国になることに理性的であり、またほとんど強くは願ってないので、この件では日本は圧倒的に有利なはずです。本来は、隣国がぜひならないかというまで、立候補すべきではないでしょうか。

中国のいう歴史問題が、だんだんカードして弱くなっています。新聞などはまだ嫌中、親中は国民のあいだで五分五分と見ているようですが、中国が歴史カードを強烈に切るたびに嫌中感は増えて、いまや7割以上の日本国民は嫌中派になってしまいました。日本が何もしないうちに、ただ小泉首相が靖国参拝を続けているあいだにこうなって、しまったわけです。

こういう日中問題とWBC優勝になんの関係もないような気がします。しかし、そうではない気がします。庶民は正直です。WBC優勝で、日本人の多くは戦後始めて「一等国民感」を深々と味わったはずです。
米国にたいする、感情から見て致し方ありません。経済では、バブル前にいっぺん米国に勝ったはずなのですが、すぐまた負けてしまいました。
しかし、このWBC優勝はもう失うことがありません。

「一等国民感」はやはりかなりの幸せ感をあちらこちらでもたらしてるはずです。

日中間の関係には日本人の多くはそれなりに神経を使ってきたわけですが、こんご政治的に「余裕」のある対案をもって中国に対しても、国民は怒らないでしょう。中国が歴史カードを切れば切るほど、隣国の真の意図を見ようとする、余裕がまさってくるでしょう。

たった、一勝、もしも負けてれば日本人の多くはいまの米国人がしてるように忘れようとするでしょう。しかし、勝ったあげくに優勝したのですから、大きな変化がうまれてくるにちがいありません。

歴史にもしも、というのがあれば、間違いなくWBCの一勝はその「もしも」だったにちがいありません。

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