悪循環を断つためには

自宅の前の道路を隔ててある、桜二本、いまだ満開です。
きのう、きょうゴージャスに見えました。
しかしこんなに長く桜続いていいいのでしょうか。散り際の大切さもあるし、これじゃ桜でなくなるのでないかという不安もあります。
桜切るばか、梅切らぬばか、とかいう言葉の意味、この時期によく分かります。狭い庭で巨木と化した桜を切ったら、一体何が起きるのか。惨めな姿をさらす桜、なんぼんも町内にあります。

昨日乗ったタクシーの運転手さん、桜今年は長いねえ、といったら、わたくしブログやってますがね、御所の近衛の桜が三分咲きと書いたのが3月23日なんですわ、それがまだ満開ですからね、ということでした。
このブログのひと言に引っかかって、聞きますと、ご自身の京都観光タクシーというホームページでのブログで、いろいろな写真や情報を出しておくと、お客さんから観光タクシー注文が結構あるのだそうです。このあいだは外国人からも予約があって、吃驚しましたわとの、ことでした。
なるほど、まさに趣味と実益の両方があるようでした。
わたくしもあやかりたいものです。

昨日の、博士達のセーフティネットの意見について、大隅典子さんがトラックバックしていただいてます。
わたくしも、ぜひ行政サイドでこの問題を吟味をしていただきたいと思っています。行政サイドが、費用対効果で考えたら、いまの博士取得の制度はどのような結果となるのか。
日本のこれからの立国について、博士取得者はいかなる役割をすることが期待されているのか、また職能集団としていかにして把握され、行政的にいかに対応されていくのか、ぜひ知りたいものです。考えるべき問題が多々あるとおもいます。

悪循環とわたくしがいうのは、つまり制度が魅力的でなければ、魅力的な人材が来にくい。そうすれば雇用市場としての魅力にとぼしくなる。このままでは博士達が非常に不幸な目にあうようになるでしょう。そうなれば、健全な学術、文化、科学、技術の基盤が揺るいで来ると、わたくしは思います

ともあれ、博士達は、日本の教育制度の「頂点」から授与された資格を持つ、人材達のはずです。いまのように冷たく扱われるというか、おいしさのまったくない資格では、有為な人材が沢山来ると予想する方がおかしいでしょう。
この部分はたぶん行政サイドしか、効果をおよぼす施策をつくれないのだと思います。

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