人生には誤算がつきものですし、いつになっても生活の色んなレベルで誤算をするものです。わたくしの場合、最近では10日間で世界一周をしたことでした。これは体力的にかなり問題がありました。毎日場所を変えての上に、この短期間に大陸・大洋横断を三回することをなんとなくうっかりしていました。最後に、成田に着いて、自宅につくまで、結構しんどかったです。やはり50代前半ならまだしも、もう二度とこのようなビジネストリップを短期間ではやらないつもりです。
わたくしの個人的体験ですが、大学院で博士課程に残ったときに、しばらく経って、人生で相当大きな誤算をしたのではないかと、かなり参ったものでした。学問に向かないと思う以前に、学問をやってる人達とあまり合わないとおもったことと、こんな世界に入り込んでもうどこにもでられなくなるのではないかという不安でした。博士の学位を取っても、いわゆる足についた米粒的意義しかないことはわかってましたし、一方で学位が無ければ研究者にはなれないこともよく分かっていました。出ることも、引くことも困難、そんな感じがありました。
この誤算という感覚ですが、それほど激しくわたくしをめげさせたわけでもないのですが、でもいつもしまった、まずいところに来てしまった、という誤算感覚が日常的となりいつも浮かぬ顔をしていた時期がありました。
結局、この感覚は大学院を休学してスイスの大学で研究を始めるまで続いたようにおもいます。
わたくしの勘違いだったかもしれませんが、スイスの研究所で会った人達は国籍も人種も違うのに、なぜか、わたくしが考えていたとおりの研究者で、わたくしが東大で、自らをエキセントリックに感じたものが、すべて当たり前のこととしてありふれたものとして存在してました。それでやっと誤算感覚が解消され、解放されたようです。
わたくしの場合、初期的な自分探しは、結局外国に出て、不要になったようでした。
結婚するときに離婚するなどと最初から感じている人はほとんどいないでしょうから、現在はたぶん離婚率が30%くらいに達してるらしいので、結婚後の誤算感覚は、それ以上、かなり高いのでしょう。
いまの大学院生で、どれくらいの人が誤算感覚をいだいているか、調べてみると興味深い結果がでるように思います。かなり高いのではないでしょうか。
医学関係者に聞いても、医学生は他の分野に行くといってもめったにつぶしがきかないそうですが、大学院生もある程度学年が進行すると、つぶしがきかないものです。さらに学位をとっても、その後はずっと、なにも保証されてないのですから、誤算感覚に悩まされるのが、次々にやってくるものです。でも、案外どんな職業でも、この誤算感覚は頻度として高いのかもしれません。
わたくしの場合は、スイス留学以来は運良く天職とまで思うくらい研究が好きになったものでした。でも、30才の頃に日本での就職が順調に出来なかったらどういうふうに変わったかはわかりません。国内のどこにアプライしても適当な職がないという誤算が現実に起きたらどうだったか、まったくわかりません。