きょうは、研究室のメンバーの何人かに比良山麓の家のほうに遊びに来てもらいました。
湖西道路の激しい渋滞がありましたが、無事昼頃にはみなさん集合出来ました。
4月からの新規メンバーラボに慣れてもらうにはこういう機会も必要でしょう。
妻がずいぶん手間をかけて準備をしたので食べるほうもたいへんすばらしくおいしくできあがりました。なおかつ今回は女性が主体だったので、昼ご飯のわりにはえらく盛り上がりました。やはりこれからは、元気のよい女性が日本の主役だなと思った次第です。
食事の後に、散歩したのですが、二年後に開通する道路の傍にとても大きな石碑が建ってまして、それに楊梅の里とありました。農地の区画整理の記念碑らしいのですが、県知事さんの筆になるもので、その巨大さと碑が建つ理由を考えて、なんとなく違和感を感じました。違和感の原因はすこし考えないといけません。楊梅(ようばい、もしくはやまもも)の滝にちなんで名をつけたので、名前自体はなかなかいいし、この石碑によればわたくしたちはこの里の住人になるのでしょうが。
最近あちこちで子供達の理数科離れとか、それがゆとり教育の弊害とか、そんな話しを聞いたり、マスコミでの記事でみます。
理数系は、将来的には収入的にも生活の安定性でも、先進国では割があわない、という、考えはかなり流布してきて、残念ながら、日本でもそれが起こりつつあるのだと思います。好きだったら、やってくるだろう、というのは甘いと思います。
日本をその例外国にするためには、行政的には相当な努力が必要だと思います。
大学や学会が努力してどうにかなるものではないでしょう。国民の考え、つまり行政の方向がしっかり定まらなければいけないとおもいます。
この一週間、なんどか触れてますように、博士達の人材供給の悪循環や、博士達の生活の将来性がなにも保証されてないことが象徴的な事実です。
理数系の勉強や研究にほれこんでも、その行く末が不安だったら、進路選択時に理数系を選ぶでしょうか。わたくしは自分でもいうのもヘンですが、高校生の時に、文系は相当得意でしたが、日本の未来のために理系の行こうと決めたものでした。いまだったら、そんな若者はアナクロニズムか頭がおかしいと笑われるでしょう。
理数系離れをなくすためにも、子供の時から興味を持つような体験をすることがいわれます。もちろんそれが大切です。でも、将来にバラ色の生活を描けるから、いまの日本の若者は進路をきめていくのでしょう。献身とか犠牲精神とかそういうものを要求しては、無理でしょう。しかし、理数系でそこそこの水準の能力に達するための勉強量とその後の研鑽は本来、献身とか犠牲とかにぴったりするくらいの気持ちでやらねばならないと、わたくしは今でも思っていますし、わたくしのところで博士を取るためには、それくらいのものは当然最低限を要求しているつもりです。まあ、不本意なケースもいくつかありましたが。
そのあたりの事情が、つまり理数系の勉強の大変さが、若者たちにに分かってきたこと、また理数系が文系よりも就職後に有利な事情が特になにもないことが、分かってしまったののでしょうから、そのあたりを前提に対策をたてないといけないのではないかと、愚考するしだいです。