研究の背景では

研究には事務的な仕事がつきものですが、この事務的才能については、驚くほどの個人的な差異がありまして、事務量をこなすスピードは大げさに聞こえるでしょうが、10倍くらいの個人差があります。しかも、総じて早い人がいい事務的な仕事をするのですね。事務的な仕事の多くは書類書きもありますが、経理とか学会の開催運営とか、なんでもかんでもあります。
事務的な仕事というのは、お役所などへの提出書類の場合、たいていは及第点をとればいいのです。結局は雑用ですから、こなせればいいのです。ただ、不合格になるような事務的な仕事では、周りも困るし、本人も困るのですね。
雑用的な事務について、能力のある研究者は、あまり才能の片りんを他人にみせずに、及第のレベルの仕事を、迅速にやって、出来ればすぐ忘れるか、いわれればおもいだすくらいの程度に記憶にとどめるのが、この世界で生きぬいていく、こつです。
ただ、書類書きのなかで研究費の獲得や組織作りとか、それができないと路頭に迷うようなものは雑用ではまったくありませんので、まったく違う次元の努力を傾けねばなりません。

昨日、DNAはモノであると申し上げました。
モノの科学というのは、化学と物理学でして、生命科学も分子などの微視的な研究になれば、化学と物理学の知識が全くないようでは、なにもできません。しかし、自動車のエンジンの仕組みなど知らなくても車の運転ができるように、使う機械の細かい原理など知らなくても、先端の実験装置を使えます。さらに最近では網羅的な生命科学が非常に流行っていまして、DNAのすべての遺伝子の発現量などもそのような網羅的研究で情報がえられます。コンピュータの中身がわかってなくてもコンピュータが使えるように、数量科学とかコンピュータ科学の粋を知らずしても、データを生みだしたりそれらを理解するのはいちおう可能です。
しかし、このように先端科学技術によって得られたデータの十分な理解のために、その背景となる技術や方法の原理を深く理解できればそれに越したことはありません。しかし、なかなかそれは困難です。われわれはスーパーマンになれません。科学技術の先端を何でもかんでも知っているのはほとんど不可能です。
しかし、出来るだけ知っている、理解しているに越したことはありません。
そこで問題となるのが、一人一人の研究者の素養です。そして、自分のやっている専門的背景をいかにかみ砕いて説明できるか、その能力です。異なった素養の人達が集まって、話し合っても、たがいにまったく理解できないのでなく、相当に理解し合える、これが非常に大切です。
DNAはモノだといいましたが、モノとしてのDNAおよびそれに関わるタンパク質などの研究論文を理解するには、おおくは生化学とか分子生物学を勉強していれば理解できるのですが、かなり高度な物理学、化学、計算科学が必須なものも最近では増えています。そういうものを自分の研究に取り込むためには一生懸命勉強したりする必要があります。60の手習いとかいうように、なんさいになっても新しい科学を取り入れる努力が必要です。いわんや若い人は時間を無駄にしないで、しゃかりきに学ぶ時期があるのです。
遺伝学などはモノの科学というよりは、遺伝現象の解析なので、かなり抽象的、操作的な研究の理解能力が試されます。モノの科学とはずいぶん異なります。議論がとりわけ必要な分野です。
さらにDNAの研究には医学が直結してくるような問題もあります。医学は疾病の理解と治癒や健康や老化などの研究でもありますので、研究目的がそのように特化していますから、医学の背景を知らないと、何が重要かが分かりにくいのです。

モノとしてのDNAとして、ひとつ研究上の課題をあげてみましょう。
ヒトの各細胞にはDNAが全長で1−2メートルもあります。それではこの長い(そして非常に細い)DNAがいかにしておりたたまって、わずか10ミクロン程度の顕微鏡でしかみえない細胞核のなかに収まっているのか、これを解き明かしたいとします。
このような問題に興味をもつひとは、アカデミックなタイプ、すぐに役に立ちそうもない、ごく基礎的な問題に関心をもつタイプといえます。

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