この一ヶ月ちょっと、ブログなるものを始めて、非常に興味深い経験をしました。まず第一に多くの同業者の人に直接やメールでわたくしのブログを読んでいるといわれたことです。面白いといってくれる人ばかりですが、もちろんなかなか面前では文句も批判も言いにくいでしょう。なかには正直に、意見違うな、と思うことも時々ありますと、言ってくれる人もおります。当然です。意見は十人十色、日本は健全な社会です。わたくしは、批判(特に建設的批判)が好きな人間です。また面前で批判をずっといいながら、人生を送ってきた人間ですから。
でもブログをやっていて、わたくしには折々に、ぼんやりとした不満とはっきりしないイヤな気分になることがありました。
まず匿名による質問です。なかにはひと言で返事できるものがありますから、時間を取られないものもあります。本当は、返事をしたいと思います。しかし、ある時点で匿名の質問にはいっさい答えないと、決めました。もちろん、たとえ実名でも答えようもない質問に答える義務があるとは思ってませんが。いまのところ、実名で質問をしてきた人は、おりません。他人に知られたくなければ、わたくしに直接メールを書いてください。なるべくならば、返事をします。ただわたくしも、なにぶん激務ですので、すぐ答えないのはあるでしょうが、大抵は読んで、答える努力をしようとするはずです。
わたくしがいろいろな質問に答えないのは、けしからんと思ってるかたがたも、この訪問者のかたがたにはおられるかもしれません。そう思われるのはイヤだな、という気分になることがあります。
次は匿名の批判です。昨日のにもさっそく、皇族の人権が損なわれてるから、天皇制は反対だと言うような、ご意見がありました。ある部分、真実で心がたいへん痛むことです。天皇陛下ご自身もある意味で個人的には多大な犠牲を払った人生をおくっておられるのです。でも、このような反対意見をここで匿名で述べることにどのような意義があると考えてるのでしょうかね。
わたくしは、実名の発言者に対して、匿名で批判的議論をしかけてくるのが、ブログ社会の「習慣」なら、その社会に「問題あり」と言いたいです。ブログ社会が若者に支持されるのなら、このような習慣は一刻も早くやめた方がいいでしょう。実名者対匿名者のあいだで議論の応酬がありうると考える、あえていいます、「アホな考え」はキッパリと捨ててください。でもそういう、物好きな実名者が居ても、もちろんかまいませんが。もちろん、匿名者同士の面白い議論があるのもいいでしょう。それなら、同じ土俵でやってるのですから。
「マナーが良くない」、もしくは「品性が劣る」、もしくは「卑怯」、といういくつかの批判用語が、匿名による批判的なコメントを読んだときに、わたくしの頭のなかでチカチカと、またたくことがあります。
もちろんわたくしは、そのような匿名批判に対応をする気はありません。ただ、そのようなコメントが反論もなく、コメント欄に放置されてるのを見てると、不愉快になることは正直あります。消すのはわたくしの感性では、マナー違反になりますので。
わたくしがここで言うことは、批判を潰そうという意図ではありません。ただ、匿名者がわたくしに議論を吹きかけてくる姿勢には、わたくしがひと言「卑怯」とラベルしたい心情が存在するといいたいのです。最大級のきつい言葉とは承知のうえです。批判する姿勢に一番大切なものは「勇気」です。
さらにすこし、とりなして言えば、人には単なる感想とみえるものが、実際には「巧みな批判」となることがあるのです。そういう巧みな技術を学び、磨きなさい、といいたいです。あくまでも匿名でいきたいのなら、「批判の芸を磨きなさい」と忠告したいです。ユーモアでも駄洒落でも、笑いのある批判的空間はわたくしは好きです。川柳的世界、こばなし的世界、大好き人間です。
今日のは、「休憩時間」でなく、仕事をやってるような気持ちで書きました。