明後日からの韓国旅行、なんとか講演のほうの準備も90%くらいできました。休暇を取っていくのでいつもと異なる気分です。
秋田県で子供が殺される事件が全国的に大きな関心をよんでいます。
元気いっぱいのほんとにかわいらしい小学一年生が絞殺されてて、死体が遺棄されて発見されるという大変ショッキングで悲しい事件です。白神山地のちかくで自然がいっぱい、子供達が育つのにも最もふさわしいと考えられるような平和な町というイメージから見ると、考えられない事件であることが関心をよんでいる一つの理由でしょう。もうひとつはしばらく前にやはり同じ小学校の女の子が川で水死体として発見されるという事故(事件)がおこり、学校では登下校に大きな関心をはらっており、この少年も自宅から80メートルの場所まで、父兄がついてきて、確認されていたというのです。
さらに報道によると、この死んだ女の子の親は事故ではないと考えられていたようですが、警察は事故としていたというのですが、その女の子の自宅がこの男の子の二軒隣という事実も報道されています。
わたくしはここで推理まがいのことをしようするのでなく、また警察の対応について論じようとするのでもまったくありません。たぶん、しばらくはニュースなどで大々的に扱われるでしょうから、わたくしなどが出る幕ではありません。
わたくしが思ったことは、子供達はなにを考えているのだろうか、ということです。これほど衝撃的な事件が起きたときに、子供達がなにを感じ、考えているのか、関心があります。子供には子供の見方があるでしょうから、その見方が正しいかどうかは別にしてどのように考えているのか、可能なら知りたいものです。しかしたぶん、それは不可能でしょう。子供がなにをいってもおとなに翻訳されたりしてしまって、感受性のままの気持ちや考えを知ることは困難でしょう。またこどもひとりひとり皆考えが違うものです。最近、子供が犠牲になる事件が非常に増えてます。しかし、子供達の肉声の声はなかなか聞こえてきません。
理由は分からないのですが、連鎖反応的に思い出されたことがあり、そのことを今日は書いてみたくなりました。直接的にも間接的にも関係のない話なのですが、なぜか強く思い起こされたのでした。
わたくしが小学校の頃に、ある日クラスの給食費を集めていたお金の袋が先生の鞄からなくなるという出来事がありました。大変に真面目で真摯な先生は、衝撃をうけて深くなやんだようですが、その事実を子供達に伝えませんでした。たぶん校長先生には伝えたのでしょう。
そのかわりに、先生は自宅に5人くらいの子供を呼びました。そこで先生はお金が無くなったことをわれわれに伝えたうえで当日の様子をおもいだして欲しい、なにか気になることはなかったか。誰か、不審に思われるクラスの子供はいないだろうかと聞いたのです。わたくしの、記憶ではだれも具体的に言いませんでした。皆首をかしげていたように思います。
しかし、実はわたくしはすぐあることに気がついたのです。詳しくは書きたくないのですが、ある子がいつもとは違うものを持っていたことを思い出したのです。次の日に気をつけて、その子の筆箱の中をみて疑いが強いものに変わりました。
しかし、わたくしはそのことを先生に言うことが出来ませんでした。先生は見た目にどんどん苦しそうになり、しばらくして学校に来なくなりました。でもわたくしは、そのことを、親にも兄弟にももちろん級友にも、だれにも言えなかったのでした。その子への同情というわけでも必ずしも無かったとおもいます。このことは、ずっとわたくしのなにかの負い目になっているのですが、やはり告げ口はできない、という気持ちが強かったのだと思います。それから、勉強が出来る子だけを呼んだというのが子供心につよくひっかかっていたのです。
しばらくして、やはりその子がもっと大きな額で購入したので商店主が怪しんで、結局分かってしまったようです。先生は教師を辞めた後でした。子供たちにも知らせなかったのですが、父兄には知らせたようで、そのことで親からだいぶたったあとで聞きました。その頃にはその子はいつのまにか学校に来なくなっていました。一年か二年もともと遅れていたというのです。その子の顔はいまでもはっきり思い出すことができます。その出来事のあったあと、たぶんこっそりとなおかつなんどもしげしげと見たからだとおもいます。