知識集積の時期

けさも一つ用事をすませて、昼頃の新幹線で戻りました。
関ヶ原を過ぎて車窓をみると田んぼの水面が拡がる中に、黄金色の麦畑がひろびろと拡がっているところがありました。
そうか、麦秋の頃なのか、と季節感を新たにしました。梅雨に入りそうでなかなか入らないのですが。

われわれの研究というのは色々な形容詞を使って宣伝したりもするのですが、ほんとにひらたく言えば、知識を集めていることにつきます。それが長々とつづきます。
発見とか発明とか重要とか本質的とか色々形容はできますが、そういうものを除いてしまえば、知識を得ようとしているわけです。その知識を得ようとする意図、そのものを十分に吟味する必要がよくあります。そして知識集積の時期はどれくらい続くかです。

沖縄でやっている研究は、増殖しない細胞はいかにして生存しうるのか、そういう問いかけでやっているのですが。そういう問いかけが意味があるのかどうか、あるとしたらどういう意味なのか。まずそこからはっきりせねばいけません。開墾に匹敵するような、だれも触ったことのない原野のような研究テーマですから、実験データという知識を沢山集めていかねばなりません。開墾ではピンと来ない人には、手塩にかけるという表現でもいいのですが、自分の触っている実験系を熟知する必要があるのです。自分の住む場所を未開の土地で決めたら、その周辺を十分に探査する必要があるのです。未到の山に登るのなら、山麓を十分に歩いて、どこから、頂を攻めるか決めねばなりません。ここの部分というかこの期間の知識集積、をきちんとすることがあとあととても大切です。そのことはわたくしの過去の経験からもよく知っているつもりです。
ただ、自分たちが研究の材料にした分裂酵母のG0細胞とはどの程度特殊でどの程度普遍性があるのか、このぶんこそが研究における「賭け」の部分なのです。この賭けの部分をいつまでも賭けでほっておくわけにはいきません。
最初にあった自問自答的な質問は、このG0細胞は代謝活性の低い眠ったような細胞、冬眠状態とか、胞子のようなものとか、たねのようなものとか、そういうものである可能性はないだろうか、それでは嬉しくもないし、あまりいいモデル系でもないだろう。
そこで調べた知識集積の最初の論文としての発表はDNAに損傷を与えてその修復をみたものです。これを短期間で仕上げたM君はもうイギリスに留学していますが、結論は極めて明確で、DNAの損傷修復で見る限りこのG0細胞は増殖細胞に匹敵する効率とスピードでやる能力を有していることです。
その後、このG0細胞が代謝的に活性の高い細胞であることを示唆するデータが集積してきました。
それで、やっと初期における研究の意図を明確に説明できるような状況になっています。例えば、ある特定の遺伝子を欠損すると、この増殖しない細胞(G0ジーゼロ)は死んでしまうことからもG0細胞を維持する遺伝子機構のアプローチがはっきりし出してきました。また増殖する細胞には効かないのにG0細胞には効く薬なども見つかってきました。
しかしまだわれわれの研究の賭けの部分は進行してまして、研究自体は知識の集積段階がかなり長期続くだろうと思っています。それではどの時期が、賭けで無くなるのかと言えば、たぶん研究の(一つの)ゴールにほとんど到着した頃だろうと思います。
未到の山の登頂は登頂後安全に下山して始めて賭けで無くなると言うことと比較すればだいぶ賭けで無くなるのは前だとは思いますが、それに近いものです。
ですから、知識の集積期間に研究にエキサイトできなければ、エキサイトする時期がほとんど無くなるのです。

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