きょうは先ほど、メールが来て、A君の論文がアクセプトされたとのこと。やれやれ、ありがたいことです。かなり安堵しました。正直、最後に書いたcover letterは重労働でした。別に筋肉を使う力仕事ではないのですが、気合いというか神経というか、かなりの消耗でした。なんでこんなに苦労せねばならぬのかと、ぼやきつつ書いたものです。誠意が通じたような気分です。
久しぶりの晴天と、沖縄では歩けなかったので、きょうは久しぶりにあさ大学への通勤時、駅までと駅から両方で45分くらい歩きました。気分がいいことです。ただ、暑さがけっこうきつくなりました。道中、ゴミ出しのことで、高齢者がおふたりなんか言い争いをしてました。止まって聞くわけにもいきませんので、知らぬふりして通り過ぎましたが。
段々、審判の誤審が話題になってきました。どうして、テレビはあの最後の10分をこれでもか、これでもかと放映しないのでしょう。いまのテレビの一番の得意技なのに。在ドイツのK君からさっそくメールがありまして、オーストラリアの反則に猛烈に福西が抗議したのに、宮本が止めたそうです。K君は宮本、止めるなと思ったそうですが。
この一連の報道、情報操作の匂いを感じます。まずオーストラリア選手側から、審判が最初の一点の判断について、謝罪したとのニュースが流れました。すべてのオーストラリアの新聞も日本の一点は幻覚と報道したとか。だれも、PKが与えられるべきオーストラリア側の反則を話題にしていません。つまり、この反則がかなりはっきりしていたからこそ、この部分を消すためにも日本側の一点についてのネガティブキャンペーンが張られたとわたくしは思います。邪推でしょうか。決してそうでないと思います。たぶん、最もありふれた情報戦です。誰がしかけたのか、わかりませんが、勝つときには気持ちよく勝ちたいものです。ケチはつけられたくないものです。ですから、そのような情報操作は悪質でも何でもなく、まったく正常な言い分でしかありません。
それに対して、日本側はどうでしたのでしょうか。福西の怒りに対して、取材した報道陣もいなければ、日本のサッカー組織が直ちに、審判の誤審を抗議したとも聞きません。
結局イタリアの新聞のコメントやFIFAのスポークスマンが正式にPKを与えられるべきだったと言うまで、日本の新聞などマスコミまったく報道しませんでした。情報戦では日本のマスコミが極端に弱いことは周知の事実ですが。これはちょっとひどいのではないでしょうか。
今日は、このあたりで止めておきますが、情報操作の原点はいかにして歴史を記述するかです。わたくしは、オーストラリア戦は、審判の誤審によって敗れたと日本サッカー界の見解として、正式に記述するべきだと思います。そういうレベルでのきちんとした認識がなければ、いけないと思います。こういう点であいまいでは、隣国との歴史認識とのあいだで議論など出来るはずがありません。
わたくしは、この凡庸な主審がいかにしてこの一戦に決まったのかをきちんと取材すればなにかが出てくると思います。公明正大な審判が望ましいのは当然ですが、能力が高いことが一番大切でしょう。
たぶん、日本サッカー協会の国際レベルでの交渉能力、政治能力はひどく低いような気がしてきました。