マスコミ、子供

このあいだ、名古屋でのパーティで久しぶりに会ったYさんにわたくしのブログは(ここのところ)ややポジティブすぎるといわれました。Yさんはわたくしのことを昔からよく知っているので、わたくしの真骨頂がきつく批判するというところにあるとおもってるのかもしれません。たしかにわたくし、批判好きですが、ただこのようなブログでそんなことをしてもしかたない、とおもってます。顔をみての談論風発のときの批判言動はは一種の漫才的な感じでおもしろいけれども、毎日書いてるブログでの批判は単なる小言好きにしか見えないかもしれません。それに批判は結構疲れるのですね。ただ、まあYさんの期待にこたえてすこし小言でない、またたんにけなすのでもない、なにか意味のありそうな、でも気軽な感じの批判言説をちょっとしばらくシリーズ的にでもやってみようかとおもいました。

おんな子供、といういいかたがあって、たわいもない意見をかるがるしく言う、とかそんな軽い意見になびくような人たちへのまくらことばによく使われたものでした。おんな子供のような意見とか、おんな子供を騙すような意見とか、むかしよく見たフレーズでした。しかし、いまはそんなことを言ったり、また女性と子供を同列に置いたりすれば、とんでもなく叱られそうです。わたくしはもちろんそんなことは言いません。
ですから、マスコミ、子供というのが今風なのだとおもいます。ここで、テレビ、子供といえば無難でたぶんテレビ人も含めて誰もが怒らないでしょうが、マスコミ子供といえば、一部の新聞人などは反撥するでしょう。
しかし、いまの新聞などで重きをなすような言論人もいないし、影響力のあるようなひとたちもほとんどいません。驚くべき人材の枯渇が進行してるとおもいます。
おとなの意見をみるようなことは今の新聞ではほとんどない、というのが正直なところです。なぜか、知りませんがそういう風に社員をリクルートしてきたあげくの現状なのでしょう。マスコミ人の能力判定は、予知能力、分析能力、それにニュース源となる人々との深いコンタクトだと思います。そういう点で、これらの人は凄いという人が居られたらぜひ教えて欲しいものです。実はわたくしも数人なかなかという感じを持ってる人がいるのですが、あまり重用されてないので、真価がわかりません。
これじゃ、ここで終わってしまいますが、子供のほうはどうなんでしょう。最近の子供はませてるといいますから、マスコミより子供のほうがずっと上手かもしれません。
でもわたくしは、その子供が10年くらい経った青年とよくつきあってますが、首をかしげてしまいます。神童だったのが凡人になってしまったのかわかりませんが。ですから、子供はやはりいまも昔も子供なのだろうとおもいます。
それでは、なんで新聞が子供化したのか。新聞デスクが子供化を推進してきたのだと思います。デスククラスは、新聞が商売であることを熟知してますし、視聴率ほどではなくとも、子供でもわかるような記事しかのせないし、子供が面白いと思うような記事しか作らせないのでしょう。
問題はおとなの意見を毎日レベルでみられるような媒体があるかです。これが日本語では極めて困難です。
わたくしのしりあいの経済学の先生が日本での唯一のquality paperは柳田さん、日経ですよと言うので、なんべんか日経を買って読みましたが、まったくそんな意見はわたくしには妥当とは思えませんでした。ただ経済記事の大半は退屈ですから、子供はよまないと思うのですが。特にわたくしに退屈だったのは、わたくしの履歴書というもので、これを後生大事に読んでる人達の気がしれません。

タイトルとURLをコピーしました