戦争研究所、大都市近傍に原子力発電所

暑い日が続きます。早朝にたっぷり水やりをして、ザクロの木についた、カイガラムシの除去をしました。このあいだ、Iさんから、クスリはあまり効かないので、軍手でもして、手でしっかり除くのがよいと聞いたので、そのとおりやりました。とげもあるのと、取りにくいところに白い斑点が出来ているので、時間がかかりましたが、なんとか朝食までに終わりました。まだキュウリもトマトもナスも収穫できています。ナスも葉が虫に食べられ出していますが、花はかなり咲いてるので月半ばまでは切り戻しもいらないかなと思っています。トウガラシ系の収穫は沢山あり、八百屋での値段が安い理由がよくわかります。

広島に原爆が落とされてから61年という、たいへん長い年月が経ちました。被爆した時に母の体内であった赤ちゃんが還暦を迎えているのです。しかし、原爆症の認定問題をとっても、裁判が長期的になり最終的に決着していないようです。
この被爆という未曾有の出来事は日本人だけでなく人類のすべてにとって、百年千年の長きにわたって語り継がれていくことでしょう。原爆投下が正当であったといまでも主張する米国がいつまでそれを続けていくのか。
日本は国立の戦争研究所のようなものを作って、イデオロギーや民族の感情をまじえずに、この太平洋戦争、第2次世界大戦、大東亜戦争などとよばれる戦争を日本側に立って、多面的に徹底的に研究するべきだと思います。研究の成果は絶え間なく国際国内社会にフィードバックしてあの戦争はいったいいかなるものであったのかを、単一でないしかし日本人の目で、これからの長い歴史的検証に耐えうるものを作る必要があるとおもうのです。

チェルノブイリ原子力発電所の原子炉爆発からもう20年経ちました。死者の数ははっきり公表されてないのですが、直後の死亡者でなく放射能被爆が原因で後に亡くなった方々もいれれば数万人という数値がでているようです。
埼玉県でのプールの管理体制の信じがたいずさんさから、少女が死亡したのですが、この出来事のあとで、日本中のプールを点検したら、500カ所以上に不備があったとのことです。JR西日本の大事故の運転手は当日まったく正常であったという報告があったとのことですが、それであの不可解な猛スピードでの運転の管理責任から逃れられると思っているのでしょうか。誰でも知っているとおり、自分の命は自分で守らねばなりません。しかし、病院に入院して看護婦さんや医師に自らの命を預ける以上、自分で守れる範囲はたかがしれています。
自分の命をゆだねざるをえない、社会のなかのいろいろな部分が徐々に劣化しているとおもうのはわたくしだけではないでしょう。
原子力発電所での場合では、爆発のような大事故が起きてからでの検証ではまにあいません。日本でチェルノブイリと同様なことは起きるはずがないという、確信など持てるはずもありません。そういう確信を持てる人はたぶんいまの日本の社会の有り様を知らないのだと思います。原子力発電所については、むしろ大事にいたらないようなしかしそれでも深刻な事故がおりおりにあって、内部点検が折々に、厳重にされるほうが安心できるという、逆説的な状況にあるのではないでしょうか。
人里離れたところに発電所があるがゆえに、事故は隠蔽される恐れがあります。大都市のそばにあれば、人々は極めて高い関心をもって、見守るでしょうが。

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