誰もが毎日毎日なにかのdecision makingをして、生きてるわけですからとりたててdecision makingは特別のことではありません。
どこで昼飯をたべるか、今晩何を料理するか、毎日毎日決めねばなりません。しかし、いっぽうでどこの大学を受けるかとか、どんな業界の会社の就職活動をするか、これは人生で一回かぎりかもしれないことなのでそうカジュアルに決められないで、かなり真剣になる、これが普通ですね。さらには結婚の相手とかになればさらに一段と重大なdecision makingになるとだれもが思うはずです
その重大な決心に失敗すればdecision makingが間違えたということになるのです。
しかし、本当のところどうなのでしょうか。そんなにあるとき気合いをいれて考え考えて正しい決め方をしていたのでしょうか。
わたくしには大変疑わしく思えます。というか自分の場合にはそのようなdecision makingを特別にやったという記憶がありません。
わたくしにとっては、若い頃は、
下手な考え休むに似たり、がモットーでした。
つまり直感で決めるしかない。ほとんど瞬間的に人生にとって一番たいせつそうな事柄をいろいろ決めてきました。
それに、決めるのに信頼できるのはわたくしにとって、消去法でした。あれが駄目で、これが駄目で、結局残るのはなにか、こういう決め方が多いです。
大事なことほど、こういう決め方が多いのですね。
それにひきかえ、昼飯に行く場所とか、晩飯に何を食べるのかのほうがずっと慎重にああでもない、こうでもないと、考えたりしたものです。
不思議です。
自分が軽率だとは思わないのですが、直感と消去法しか、人生の一大事を決める技術をもたないのはヘンだし、われながら情けない感もありますが、でもそれがわたくしの人生だったのだなと思ったりします。
というか、直感と消去法の技は年輪でそれなりに発達したのかもしれません。かなり無意識的に使ってるワザがあるのかもしれません。しかし、年をとると直感も鈍くなって、何を決めるのにも遅くなりがちです。
人生の一大事ではまったくありませんが、今日の大文字焼きは見ずになるべく早く帰ろうと、決めました。
なんとか7時頃に家にもどって、サッカーの試合を見ようと、決めました。
だからもう帰路につきます。
それから、明後日東京で講演をするのですが、関係のかたの連絡によると、なんと持ち時間は3時間もあるとか。
前に聞いたエピソードですが、5分の短いスピーチには一晩考えて準備するが、2時間の長いスピーチにはなんの準備もしない、というものです。
これなかなか含蓄ありますが、わたくしもどちらかというと、このエピソードに近い準備をしようと、決めました。