地方区から全国区へ、河合隼雄さん、五木寛之さん

昨日の会食は七輪をテーブルに入れたところでの炭焼きでした。暑いことでしたが、若い人にはやはりいいのか、笑い声が絶えないようでした。
研究費のほうの話しは、どうもなんとも言いようのないものでした。なんでこんなことに、おたがい時間を使わねばならないのか、日本は難しい国です。

今日の話しは選挙の話しでなく、いかに人材を求めるかということで、わたくしのようにもう京大の大学院生が新規に誰も来ないところで研究室を運営しようとすれば、人材をどこにでも求める必要がありますが、それを全国区というのです。
つまり京大とか阪大とか、東大、名大などどこも自大学出身の学生がそこそこ多い大学では、自大学出身者で占められる研究室は「地方区」的というのだそうです。自大学の学生が来ないところは全国に向けて宣伝するので、これを「全国区」というのだそうです。
うまくできたもので、受験する学生はそのあたりの臭いをかいで、全国区的なラボにいくか地方区的なラボにいくか決めるのだそうです。
わたくしも学生は基本的にとれませんが、ポスドクなどの希望者は全国というようり全世界と言うことになるわけで、話しだけは大きく聞こえます。しかし、実態はそういうものではありませんので個別に関心を持ってくれる人がいれば、ひとりひとり「ていねい」に相談する。この丁寧さがかつてのわたくしになかったところです。
いまはメタボリスム、つまり代謝を表に出さねばならぬ研究費ですから、ラボのメンバーのほうもせねばならぬ新陳代謝はきっちりする必要があります。

河合隼雄さんが重病のようです。心配です。
高松塚古墳についての文化庁の不手際を謝罪する会見を沢山した後で、ご病気になられたとか。温顔の河合さん、ずいぶんおつらかったのでは。ぜひ元気になって欲しいです。
山田風太郎さんが亡くなってもう何年にもなりますが、彼の作品は愛読したものでした。司馬遼太郎さんも亡くなられてずいぶんたちました。お元気なら、いまの日本についてなんていうでしょうか。
それで、今は五木寛之さんが書かれたものを、読んで生や死について考えます。やはりこの人が沢山のファンを持つのは当然だとおもいます。人生の修羅場をいろいろあゆんできてるし、含蓄があることを軽くよませる技術は生まれつきのものだとおもいます。
わたくしは、五木さんの書かれたエッセー、どれを読んでも反撥するところがまったくないのに驚きます。昔はずいぶん年上だったと感じたはずなのに、いまでは共感を感じるところが多くて、自分の兄貴分くらいの感じで読んでます。いろいろ学べるところが多いです。
五木さんのような軽やかな若い気分で生きられれば、70代も悪くないかな、と思います。

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