朝はやめの電車で出かけて、関空に10時頃について、10時50分の便で那覇に向かい、到着後タクシーでセンターに向かい午後2時頃に着きました。家を出たのが朝8時ですから、やはり6時間かかってます。JAL便でしたが、満席とか。ちょうど昼飯時の便ですが、もちろん昼食などはでません。そのかわりに大塚製薬かなにかの、あまりおいしくない試供品のようなものを食べさせられました。食べなければよかったと後悔しました。関空では、アナウンスで1000円高いJ席が空いてることを宣伝してましたが、言いぐさがひどくて、一般席は混んでいてたいへん窮屈です(正確にはちょっと違う表現)とか、だからどうですかというものでした。これじゃまるで、一般席のほうは難民状態とでも自分で言ってしまったら、どうなのでしょう。
那覇空港はとても混んでました。しかし、タクシーに乗る人はほとんどいないので、団体が大半のようです。
論文を書くのはけっこう苦しい時が多いのですが、それでもいつかは終わる時があると信じてやらざるを得ません。なぜ論文を書くのが苦しいのか、それはわたくしが自分で実験をしてるときにはまったくそんなことはなかったので、他人のやった実験のデータをまとめる苦しさでもあるのでしょう。
わたくしは自慢になりますが、ラボヘッドになるまでは、自分でなんでも実験をしていましたから、一人で書いたことが何度かあります(去年もこのことを書きました)。その頃は、やっと論文が書けるデータが集まったというので嬉々として書いたもので、論文を書くのは不安はあったけれども、苦しいことはありませんでした。
しかし、学生や共同研究者のデータを集めて書き出してからは、なんどもなんども苦しい思いをしたものです。
つまり、ジグソーパズルのピースがないのだけれどもいったいどうしたものだろうという類の苦しさです。新たにピースを作ってもらうべきか、なんとかいまあるピースを変形して空いた空間を埋めるか、それともみんな捨ててしまって何も書かないと決めるか。怒ってはいけない、腹を立てるのは最低と自ら戒めているのですが、凡人の悲しさ、腹が結局たってしまって、しばらく立ち上がってぐるぐるそのあたりを歩いたりすることはよくあることです。でも、指導する自分が悪い、とこう思わねばならないのでしょう。
こんな生活を30年もやって来ました。論文を書かねば生きていけないし、学生を預かっている以上、どんな仕事でも最後には論文にせねばならないので、逃げ場のない苦しさです。
それでも、このエンドレスの生活もおりおりに小さなエンドがあって、論文を投稿するとか、論文が仕上がるとか、そういう解放感を味わうことがあります。
わたくしは、マゾヒストでは無いと思うのですが、論文書きについては、ちょっとマゾっぽいなあと思うことがあります。
今日あたりは、まだその解放感は味わえませんが、その三歩手前くらいまできました。