英語でのコミュニケーション、池のはなし

平素は静かな英語ブログthird eyeですが、きょうはたくさん訪問者がいるようです。
下手な英語を読んでもらってすみませんと、という気持です。こういう平素書かない話題だとそれでなくとも下手な英語がますます下手でいやになります。それに時間がかかるのです。
しかし、こういう科学研究における捏造問題はどこででも起こりえて、共通の問題なので、英語で論じておくのもいいと思うのです。ただ、ニュアンスとかそういう点で驚くほど、意志が通じてないことが多いことを知っています。わたくしだけが悪いのでなく、よむがわが注意深くないこともあるのですが、誤解されるのはある程度しかたないのかもしれないでしょう。だから一度言えばいいのでなく、なんども同じことを言わないといけないというのが、外国の人々との交流にかかる点です。
言わなくともわかる、という文化は外国人相手では、やはり具合が悪いのですね。ただ、言うと相手は安心して、そのうえで反論してくるのですね。まず、取りあえず安心してからの反論です。ところがなにも言わないで無言で反論したつもりでいると、それは相手を怒らせる、イライラさせる、そのうえで反論がくるのでこれがいちばんまずい議論の方向なのです。ですから、無言で無視して好きなことをやるというのは、日本社会では往々にしてありがちですが、外国文化を背負ったひとたちには大変具合がわるい。
話しがそれましたが、杉野教授事件、決してこれが幕引きでないことを願っています。しかし、どう展開するかは、ある程度この事件の関係者の人間的因子で決まってくると思っています。
わたくしは、あくまでも罪を憎んで人を憎まずという態度でいるので、なぜこういうことが起きたのか、もうすこし前に、このようなデータ捏造の実行を止めることができなかったのか、そんなことを考えています。
レフェリーが捏造を見つけられなかったのも残念です。ある人に指摘されて捏造データなるものをみましたが、そういう気持で見ると、直ちに捏造と分かる、そういうデータでした。

きょうは、周辺の雑草を取り払ってきれいになった池をしばらく眺めていました。
魚は鳥が上空から狙うせいか、それとも元来の性質かたいへん用心深いのですが、10分くらい座っていると、天気の良さに誘われてか、底から上がってきて、水面近くで30匹くらいかたまっていました。川魚を百万遍の店で買ったものがこれだけ増えたのです。最初は5,6匹でした。赤い魚が一匹います。赤い魚はいろいろ入れたのですが、結局いまは一匹だけ残ってるのでしょう。メダカはたくさんいます。国産のメダカだけになってるようです。いっとき赤っぽいひめだかがいましたが、いまは数十匹黒いのだけになっていました。それに、大きなトノサマガエルが三匹います。
よく見てるうちに、やはり亀が用心深く頭だけ出してるのに気がつきました。甲羅の大きさは前にいっときいたのと違うようで小ぶりでした。
この土地を買ったときには、春から9月半ばまで、水田への水が敷地の脇を流れていて、なんとも言えない良い水音が常に聞こえていたのですが、いまは土木工事があって駄目になってしまいました。本当は、敷地脇のKさんの一反の水田が残ってるので、それをやってくれれば水は流れるのですが、Kさん病気になって、息子さんも奥さんも農業はやらないので、雑草だけの水田跡になってしまいました。その雑草をしばらく見ているうちに、この土地を購入してから10年経ってませんがそれでも色んなことがあったとぼんやりと思いにふけったものです。

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