東京経由、名誉会員、新庄選手

今回は東京経由となったのは、東大のYさんに沖縄での研究の関連のことでいろいろ教示していただきたいことがあったのでした。研究面で一部非常に近い所が出てきました。同時にYさんと同じラボの講師をされているTさんにも教えを乞うことがありました。彼女はもうすぐ英国でラボを開設されるので渡英されるとのことでもあります。あえて惜しい人材が英国に流出するとは言わずに、何年かたったら、帰国して日本を変革していくうえでの重要な人材が英国に一時貸し出しされると、考えたいものです。お二人にはいろいろ貴重な情報をいただきました。ありがたいことです。
それともう一つは、日本生化学会が貴殿を名誉会員とするという、意外にしてうれしい驚きでもあり、またありがたい通知がありましたので、本郷のほうの学士会館の分館に参りまして、長田重一会長から、直々にいただきました。わたくしの日本生化学会自体に対する貢献はまったく無いのですが、生化学の出身者の一人として、その領域をわずかながら拡げたとみていただけるのなら、ありがたいことです。
たしかに、大学院生の頃は生化学の学生でもあり、地元学会はたしかに生化学でもありましたが、学会にいっても、ほとんど領域外の先生の話を熱心に聞くという生化学の先輩から見れば、まじめではない若者でした。ただ、学部の4年生の頃から、最初の4年間はかなり猛勉強をしましたので、今でのわたくしの生化学の知識の基礎はほとんどその頃の蓄積によるものです。いまは、メタボリックな仕事を始めてもまったく違和感がないのは、やはり初期の頃への回帰的なものもあるのかもしれません。こういうわたくしの現在しか知らないものから見たら、驚きの証書はオフィスに掲げておこうと思いました。

日ハムが4勝1敗で日本シリーズに優勝しました。
新庄剛志という端倪すべからざる人物が、日本中を席巻しています。
かつて阪神にいる頃はほとんど迫害といってもおかしくない仕打ちを受けた人物が、いまやこの多くの人たちをとりこにする、カリスマ性というのか、求心力の強さはどうでしょう。
北海道の熱狂性は当然としても、日本中のアイドルと化しているのはまったく、「現象」といわざるをえません。わたくしは、このような人物が人気が出ること自体には非常にポジティブです。特に若い人たちにはこの珍しい人物を研究して欲しいと思います。意外に、新庄選手がまともで古い日本的感覚を21世紀的に衣替えをしていることに気がつくと思われます。
わたくしがこの人物について、「おや?」と思ったのは、いつだったか、現役バリバリなのに、「自分には才能がないから野球を辞めたい」というセリフを吐いたときです。
江本の「ベンチがアホやからーーー」という即物的なセリフよりも芸術性の高いセリフに聞こえました。当時、新庄は亀なんとかという選手と同類かとわたくしは思っていましたが、ちょっとこれは違うなと思いました。本当かどうか当時の監督の藤田平氏が新庄の人物性をまったく認めず、かなりいじめたあげくに本人から出てきたセリフなのではないか、となにかで読みました。
ニューヨークメッツにいけたこと自体にわたくしも驚いた一人なのですが、予想をはるかに超えた大活躍をしているときに、「記録はイチローさんにまかせて、自分は人気でいきます」というセリフをなにかのおりに聞いて、これもなるほど、自分をうまく表現出来る人だな、と感心した記憶があります。
イチロー選手はたぶんひそかに、新庄の端倪すべからざるを能力というか才能をいち早く認めていたのではないでしょうか。つまりこのあいだの、WBCでのイチロー選手のパフォーマンスは、新庄を意識していたのではないかとさえ思いたくなります。
わたくしが改めて新庄選手を面白いと思うようになったのは、なにかの番組で新庄選手の父君が登場してインタビューに答えているのをきいて、ほうこれは日本社会において日本中どこにいっても尊敬をかちうることのできる、浪花節も信義も充分わかった伝統的な人物なのだな、と理解できたことでした。この男性の息子の新庄はみかけによらず、生活感と信条は伝統的な人物であるに違いないと、思ったものでした。
それが確信になったのは、彼自身のインタビューでしたか、かれが自分がいま使っているグラブは野球を本格的に始めてからずっと同じグラブ一つを大事にして今日まで来たということを聞いたことでした。聞き間違いかもしれませんがそのように聞こえました。たしか、値段もいってたと思います。それを大事に大事にしてずっと使ってきたというのです。
この一言で、もしもわたくしが野球少年なら、しびれてしまうでしょう。
わたくしが、大学院生になってから今日まで同じものを利用しているものがあるといいのですが、いくら考えてもなにもありません。

その大事なグラブを頭にかぶる仕草がいま受けていることを聞くと、それは受けを狙う行為ではなく、自分がいちばん大切にしているものを頭のうえにのせるという、一種のリチュアルな行為に見えてしまうのです。
新庄はたぶん、これから伝説の人となり、さらに時代が下れば神話的な存在になるかもしれません。
新庄選手の持ってきた美学はそれにたえうるものだと思われます。わたくしも日本中の何千万人の一人として、かれがこれからを何をするのか、興味をもっています。

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