上野の山、歩く人たち、世界史

昨日の朝は、ホテルの近くの不忍池から上野の山にかけて40分ほど歩きました。朝6時台でもたくさんの人たちが歩いていました。後ろ向きに歩く人たちがいて、これは関西では見かけません。20年くらい前からドイツあたりで見かけてましたが、さすが東京はすこし違います。
歩く人たちは、まさに歩くために歩くという感じで、散策を楽しむという雰囲気はこの時間は無いようです。犬連れもいますが、しかしノンビリではなく速歩というところでしよう。わたくしもせっせと歩いて、池の真ん中を突っ切って、山の森の中をさっさと歩いて国立博物館や動物園のあたりをぐるぐる歩いてから、西郷さんの銅像をしばらくぶりに見てから、寛永寺でしたか灯籠の沢山あるところを通って静養軒からくだってまた不忍池に戻るというコースで歩きました。
やはり上野のやまには史跡が多くてもうすこし詳しく見たくなるところが何カ所もありました。江戸、明治、大正以降の近代にいろいろ関わりのある、建物などがあるので、やはり興味深いものです。それに、この森もうっそうとしているし、不忍池もすかっとしてさわやかで、いい気分でした。京都の史跡にはまったくないものが、このあたりにはあるな、と思いました。
ホームレスの人たちもいっときほどは多くなく、こざっぱりとして元気良さそうな人たちもいました。猫を2匹飼っている人もいましたが、どう食べ物をかくほしているのでしょうか。
池のそばに、奇抜というか一見醜い高層のホテルがありまして、名前がフランス系なので、いっぺん泊まってみたいのですが、ちょっと値段が高すぎてその価値があるのか分かりませんでした。さいわい、昨日そこでコーヒーとケーキを食べる機会がありました。ケーキはそこそこおいしかった。客種を偵察したら、まあまあの人種ではないかと判断しました。自腹でも払ってる人も相当多そうです。一泊くらいならそのうちトライしてみようと思った次第です。

世界史などの補講が全国的な話題になってるようです。世界史が必須になったけれども、なぜかやらなくてもいいだろうという判断をたくさんの高校がおろしたみたいですね。なぜなのか、わかりませんが。たぶん、だれもそんなことを問題にしないだろうとたかをくくったのでしょうか。なぜこれが急に問題になったのか、仕掛け人はだれか、その意図はなにかとおもいます。ゆとり教育はいけませんよ、というメッセージなのでしょう。わたくし、世界史がいちばん好きでしたが、範囲が膨大なわりに、試験内容も細かく、しんどさでは社会科でいちばんでしょう。でも、日本史がなぜ必須でないのか。あれよあれよの進展で背景説明がないと、理解できません。文科大臣がなぜかえらく強くでているのが正論とはいえ不思議です。

それで思いだしましたが、大学での第二外国語の必須性はいまどういう趨勢なのでしょうか。わたくしの知る限り、いま50才代の前半くらいからそれ以下の世代で、第二外国語をまともに勉強した人物に会った試しがありません。理系の特徴かもしれませんが、わたくしは色んな意味でいつもひどすぎると思っています。
わたくしの前の世代はたいてい、第2外国語をそこそこ勉強したものです。ある程度の実用性にまでたどり着いていたはずです。外国語は英語だけではないし、ちょっとした人なら、外国語を二つくらいはなんとかものにするのが奥ゆかしいのではないでしょうか。必須だからやらんといかんと言っても、必須の第二外国語がまったくからっきし駄目な長期にわたる世代の人間達をみていると、教科なんていうのは、必須にしてもほとんど無価値だと思うのです。やはり、価値があると思えば、勉強するでしょう。
そのあたり、いい加減分かるべきではないでしょうか。

タイトルとURLをコピーしました