学術会議のほうのイノベーション委員会の宿題に20年後の日本のための案作りがあって、ちょっと癖になってるので、この奈良先端大学院の20年後を占ってみましょうか。英語のブログでも書いたように、わたくしの未来占いはもっとも不得手なものの一つなので、信用されては困るのですが。
一つだけ確実に言えるのは、現在の奈良先端が過小評価されているので、その部分が正当に評価される時期があるでしょう。ですから、実際には現状維持でも世間の評価がこれから高まってくるのは間違いないでしょう。なぜ過小評価されるのか、その理由をさぐると、将来像も見えるかもしれません。
まず奈良先端の現状では、「権威」というものがありません。関西には、京大、阪大という二つの旧帝国大学があるので、世上の評価は、奈良先端大学院はどんなに頑張っても京大、阪大の上にはいくまい、という固定した意見があります。実像はどうあれ、このような固定観を覆すのは大変です。しかし、いっぺんでも覆されると、そのインパクトは大変なものになるでしょう。平均的には、奈良先端の教員あたりの研究成果は、京大や阪大の広義の生命系の教員を上回りますよ、といってもたぶん信じられないでしょうが、しかし、だいたい現状はそんなものかもしれません。
京大や阪大には傑出した研究者が確実に相当数いるという、意見があるでしょうが、この類の議論には奈良先端側は耳を傾けない方がいいでしょう。創立以来の年数はわずか10数年のようですから、100年経っている大学や規模が桁違いに大きい大学と、少数の教員の具体名の格でやり合ってもしかたないでしょう。
しかし、ことしの分子生物学会でのplenary lectureをする山中さんは、このあいだまで奈良先端のスタッフだったのですから、引き抜かれたのは致し方ないとして、これまでの人事は相当に成功していることは間違いないでしょう。
わたくしは、この奈良先端の見かけの不利な条件がたぶん起爆力的な面を持っていることを感じます。
今回の集中講義で感じたことは、少数の学生の優秀さは、京大、阪大にひけを取らないどころか、同格だと思われました。
彼等は、京都あたりの気がまぎれてしまう環境にいないがゆえにものすごく仕事をする可能性があるはずです。しても、その手柄は教員のほうにいってしまうし、京大あたりのように学生が優秀だからという、ような説明は奈良先端の場合まずないでしょう。学生はまあ不利ですが、それもまたいいではないですか。この短い歴史しかない、大学院大学では。
しかし、わたくしが、京大の学生について感ずることは、かれらがもしも集中してやれれば、ずっとやれるのに、残念だな、と思うことが大半です。
京都では、いろいろ雑音も多く、つまらない他人との比較や、意味のない情報に振り回されて、若者の成長は意外に遅いものです。奈良先端の環境は、一見周りに何もなくて、さえない感じですが、時間を区切って考えれば、集中できてすごく良い結果が出せる可能性があります。
米国や欧州でも辺鄙なところでの研究環境はざらにあります。優れた指導者がおれば、3,4年間そういうところで集中してやるのは、一部の若者にとって、すごい力を発揮できるかもしれません。
奈良先端が、豆腐を買うのに10里の距離を歩くわけではなく、ちょっと不便な程度です。世界的に見ればまったくたかのしれた不便さです。
そこで、予測です。わたくしはやはり、精鋭少数(少数精鋭ではありません)、つまり多数の院生がいても、そのなかに少数の精鋭がいれば、というか今の奈良先端のやりかたに楽観主義と精鋭少数主義を加味すれば、京大や阪大に比肩するのはもちろん、独自の先鋭な学風が築かれるでしょう。大事なことは、精鋭少数であって、少数精鋭ではありません。
教員にとって、多数の院生を相手にすることは過酷な面もありますが、少数精鋭では成功しないでしょう。精鋭少数の主義を貫くべきです。身も蓋もない言い方ですが、多数の修士学生がいて、彼等が2年で社会に出ていくという環境は、悪いどころか優れた環境として、みなしてもいいでしょう。
そのなかで、精鋭少数主義を発揮すれば、驚くほどの成果が上がると思うのです。社会の組織の大半はそんなものではないですか。
わたくしなど、京大のどの院生もが自分は優秀と完全に勘違いしているとんでもない環境で長年いましたので、奈良先端の強みがよくわかります。どっちみち、精鋭などは滅多にいないのですから。精鋭少数がやれる、奈良先端は強みがあるはずです。そういうわけで、教授などの層に数人傑出した指導者がでれば、奈良先端は関西ではもっとも生命科学の研究しやすい大学になれるのではないか、わたくしもいちおう身内の一人なので、身びいきも含めての意見を開陳しました。
なお、このブログを書いた後で、妻に奈良先端大学院どう思うと聞いたら、知名度がやはり低いね、というあっさりした意見でした。20年後知名度あげるには、なにか事件をおこなさないと。