明日は、あさ10時から近江今津のそばにあるホテルに出かけて講演をします。
京大医学研究科の大学院教育コースの一環で、細胞生物学・細胞生理学コース第2回合宿とあります。今日のゆうがたから、学生さん達は先生方とバスで出かけてじっくり諸先生方のお話を聞き、自分たちも研究の内容を発表するものです。
わたくしは、これをオーガナイズされているN先生に頼まれまして、明朝のセッションで話しをするのですが、どういう若者がいるのか、それなりに楽しみです。週末に過ごす、比良の山麓からはごく近いので、朝出かけます。
このような行事はリトリートといって、研究所や大学では非常に大切な行事です。欧米では、最重要な行事と位置づけてるようです。この合宿は一泊ですが一週間もリトリートに行くような、研究所があります。
わたくしのところでも、いまは沖縄のラボと合同で年一回はすくなくとも一緒に宿にとまってやっています。
前はこのような行事をするのが経費的に難しいのでした。つまり、学会でもないのに、研究室員が物見遊山でいくのではないか、そのような経費の捻出は難しい、自分のお金でいけ、等といわれたものです。いまはありがたいことに、工夫をすれば、条件付きで認められるようになっています。
こういう、行事はほんとうに大切で、こういう会の出席を通じて研究の意欲とか能力が高まるのだと昔力説してもやはりダメだった記憶があります。
しかたないから、自腹を切るのですが貧乏な学生には大変申し訳ないので、そのうち自腹にも限度があり、やれなくなってしまった記憶があります。
どうも、意欲を高めるための経費は、税金を使うとなると、総じて日本の世論は非常に冷たいのですね。
飲み食い、とすぐ短絡的におもわれ、それじゃ堕落だと、こうなるみたいです。自腹なら勝手にやれ、こういう論理ですが、これは本当におかしいのです。ごくごく、質素なものなのですが。
若いボスが研究室の若者を、研究室をおとずれた賓客と一緒に外に食事に行けないのも、そういう経費がないからです。
無理してラボの若者をつれていけば、経費がかさんで、奥さまが恨めしい顔をするし、お子さんも絵本もおもちゃも買ってもらえないのです。わたくしも、そんなことを繰り返して来ましたが、いいかげんこのあたりよくなるかと思ったら、とんでもない話しで世の流れは、ますます難しくなっています。
リトリート、イコール物見遊山、研究上の重要な客との飲食は、遊興的な飲み食いという、感覚がマスコミを始めとする世間の意見では、なかなかアカデミアの世界は大変です。
たぶん、このリトリートの立案実行でも、担当の関係の先生方は細心の注意を払われているはずです。わたくしなども、食事までは経費でやって、飲み物はすべて、自腹を切るように精算するとか、そういう「けじめ」の部分にすごい気を使ってやってきました。
ちょっと、話題がかわりますが、日本語の読めない、書けない、しゃべれない、研究室の主宰者がだんだん増えてくると思うのですが、彼等がどういう点で一番困るか、それは欧米でできることが日本ではできない、そしてその理由がよくわからない、だれも説明してくれない点のようです。
郷にいっては郷に従え、ではちょっと納得がいかないことも多いでしょう。
この説明を上手にすると、多くの場合納得するものです。説明のしかたがちょっと狂うと怒るとか怒鳴るとかそういうことが起こりがちです。
説明のしかた、つまり日本流のロジック、論理を納得してもらうべく、説明をしなければなりません。
けんもほろろの説明でなくそれなりに成る程と思わせる、一種の迫力がいるのですね。
この迫力のある説明のできる人たちをこれから養成する必要があるようです。
さもないと、日本のやり方は劣るとか理解不能とか、そう外に伝わりがちです。
いい点よりも、目につく悪い点をあげつらうのは、世界中どこでも同じですから。