近江今津の町、昔も今も、落ち葉

けさは、9時前に、駅まで10分弱歩いて大阪発の快速敦賀行きに乗りました。ほぼ満員の混みようで、若い人より圧倒的にいわゆる熟年のカップルおよび複数カップルが乗っていました。近江今津の駅からは半分の4両編成とかで、それでは座れない人もでるかのような盛況でした。物珍しさもあり敦賀まで行く人が多いようです。
わたくしは今津で降りてしばらく50メートル歩いて前方に山が見えるので方向が逆のことに気づきました。駅前は何もありませんが、船着き場から浜通りを歩くと家並みがそれなりに退屈しません。ただいえがびっしりあるので、びわこは見えません。湖岸通りの二階建てくらいのアパートでひと夏下宿でもして勉強するような時期があってもよかったな、などど空想しました。そういえば、友人のTHさんやPN夫妻と船に乗って竹生島に行ったことをふと思いだしました。船着き場の湖面からは無数といってもいいような鳥が湖面に浮かんでいました。
マキノの駅からの浜通りには鮒寿司の店がいくつもありましたが、この今津のほうには鮒寿司の店はなく、かわりに佃煮を売る店がありました。構えはかなり立派なものもあるので、都会でも売れてるのでしょう。昔の旅籠みたいなところや古い神社があり、そこを抜けると今日の目的地のホテルで、隣接して滋賀県ならどこにでもある平和堂がありました。静かなそして広々とした湖面が見えるので、リトリートには大変いい場所のような気がしました。
着いたときにはわたくしの前のMさんの講演の後半でした。一部ですが面白く聞きました。
わたくしも、硬軟の話題をとりまぜて話しました。
研究室のF君は臨床出身ですので、かれのもうすぐ出てくる論文の内容をかいつまんではなしましたが、前には研究者であるためのわたくしの考える、心構えのようなものを話しました。
N先生のありがたい紹介と司会もありまして、大変にきぶんのよい時間を過ごしました。
昼飯のあいだ、学生のひとと話す機会がありましたが、昔も今も40年前もほぼ同じような、悩みを持って若い人はいるのだな、とあらためて認識しました。
しかし、悩んでいるうちが花、という面もあるのですね。

妻がホテルまで車で迎えに来てくれたので、一緒に途中の安曇川によって、薪の雨よけの波板をしっかり固定するべく、部品を探したら、ぴったりしたものがありました。その時、そばをみたら、リチウムグリースという、前回はどの売り場を見ても見つからなかった、耕耘機のカタログに出ていたグリースがあり、これを買いました。こういう売り場は店員に聞いたら、見つかるものでもありありません。自分が求めている商品が何なのかわからない、あるのかどうかわからない、そういうことがあります。
比良の家に戻って、波板をしっかり打ちつけました。庭はものすごい落ち葉です。
毎年、この2本のクヌギからでる落ち葉の量が多いのですが、今年はそれに、コブシからもたくさんの落ち葉がでています。
大根に追い肥をして、まだでてこないほうれん草をまいた畝に水やりをして、絹さやの支柱をつくり、ブドウ棚をケージの中に作ろうとしたら、雨が降り出したのでやめました。
隣接する、林のほうの木々も葉がだいぶ落ちてきて、枝がよく見えるようになりました。
いよいよ12月か、この一年長かったなとまだ終わってもいないのにおもいました。

サッカーは、浦和がガンバに勝ったようです。悲願の初優勝とか。
京都サンガはまたJ2に落ちるので、パープルと呼ぶのを止めるようです。それで、強くなればいいですけれども、駄目でしょう。
わたくしは、このチームが駄目にならざるを得ない理由が分かっています。最初の頃は3回だか4回だか応援に行きましたが、未来性のないことに気づいて行くのを止めました。
滋賀県にもチームができないものか。10年がかりでもいいから、どっかにスタジアムが欲しいものです。いまの高校サッカーの強さからいけば、プロチームがないのが不思議です。

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