真珠湾攻撃、硫黄島の戦い

65年前のきょう、日本海軍はハワイ真珠湾を攻撃しました。宣戦布告なしに攻撃したということで、米国の怒りが一挙に沸騰して、激しい戦いになった太平洋戦争の幕開けの日でした。
報を聞いた、多くの日本国民が痛快な気分をあじわったことが、たくさんのエッセーや日記から読み取れます。しかしそれも、しばらくの間で半年後のミッドウエー海戦で米軍に負けて航空母艦を失ってしまったわけです。その後、3年間も米軍を始めとする連合国側を相手に戦争を続けられたというのは、今から考えると驚異です。
日本中のすべての家庭の押し入れにしまってあった、金属製品が全部なくなってしまうまでの、窮極の消耗作戦をしてそこまで続いたのでしょう。何かを始めるよりも、止める方がずっと難しい、教訓を残しています。
わたくしは、この真珠湾攻撃の年に生まれました。
今日の新聞に当時の兵士もみなことごとく90才以上になってしまった、これが最後の大規模なハワイでの式典とか記事が出ているのを見ると、わたくしの父も生きてれば90代半ば近いのだなと思いました。
日本にとっては、原爆投下の日、米国にとっては真珠湾攻撃の日、国民が決して忘れない日です。

去年書いたかもしれませんが、わたくしの父は志願して海軍の兵隊になったので、従軍してから、先輩の兵にこんな敗戦必至なのになんで志願したのだと言われて、ひどく悲観したものだと、よく聞かされたものでした。

硫黄島での戦争を題材にしたクリント・イーストウッド監督の映画が話題になってるようです。終戦の1945年の2月の有名な戦いで、日本兵はほとんど戦死し、2万の兵のうち生きて帰ってこれたのはわずか数百人とか(生存兵がひどい拷問を米軍から受けたのもしられています)、米軍も相当数の戦死者を出したので、勝ったとはいえ非常に苦い味のする勝利だったはずです。
マカロニウエスタンで出てきたこの人物が、年月とともにいぶし銀ような味を見せる、俳優、監督となりました。
見てみたい気持が久しぶりに湧いた映画です。この島が長いこと米軍の管轄下にありましたが、今は実感はありませんが日本の領土のはずです。この島にはまだ一万体以上の遺骨が収集されずにあるとのことです。
小笠原諸島の一部とはいえ、行くことも困難な島です。わたくしが太平洋の島でひとつ行かせてやるといわれたら、第一に行ってみたい島です。

二つの国の男達がとことん戦った場所の空気をすってみたい、と強くおもいます。

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