帰国へ、黄色いタクシー

三日目から雨がちで、小雨だったり本格的に降ったりでしたが、けさは外をみたらかなり本降りです。
雨が降ると、台湾でも寒い感じです。
昨夜会ったSSさんの話では、彼女の住むあたりでは冬は本格的に寒いことがあるそうです。
彼女がいた頃の昔話をいっときしましたが、どうしてもひとりだけ、彼女がいた頃の院生ひとりの名前が出てきません。彼女も名前が出ないし、わたくしも該当する人物がでてきません。妻も首をかしげてました。息子は高校生の頃ですから、ぜんぜんわからないようでしたが。誰だったのか、気になることでした。

台湾には富士山より高い山がいくつもあるくらいで、雪も降るのは驚くことはありませんが、高山とかその周辺の豊かな自然を見る機会は今回はありませんでした。ぜひまた来たいものです。
特に農村地帯を見たいと思いました。九州くらいの島に2千万人以上もの人が住んでるのですから、なかなか人家のすくない平野を見るのは困難かもしれませんが、所長のYさんのオフイスにあったような農村はどこかにあるでしょう。

話しがとびますが、むかし外国から来た友人になんどか日本ではタクシーが色んなカラフルな車体で、個人は白一色(ある時期まで日本人の個人所有の車の8割は白でした)というのはなぜなのか、聞かれたものでした。いわゆるあべこべ物語のひとつで、日本にくるとなぜか欧米と反対のものが見られるというもののひとつです。
台北のタクシーは黄色一色でした。いわゆる米国型です。

日本は、企業間競争が激しく、そのレベルでは非常に強く企業の個性を発揮することが多いというのが、その頃のわたくしの苦しい説明でした。個人個人になると、我を張ったり、特別な色の車にする気持を抑制しがちですが、組織になれば、組織自体が強烈な個性を発揮しないと、企業間の競争に勝てない、こういうことでタクシーが自社を目立たせる傾向がある、こんな説明をしたものです。
そのかわり、組織の中での個人は没個性となりがちになるというか、没個性にしないと、企業の個性が打ち出せない、こんなことも説明したものです。
われわれの世代まではこんな説明で良かったのかもしれませんが、いまはそういかないのでしょう。
実際、日本の車の色もその頃とは大違いで白はまだ多いですが、他の色もどんどん増えています。ただ、タクシーのようなツートンカラーとかまだらとかはまだまだないですが、車の色に奇妙な違いを感じる外国人はもういないでしょう。
しかし、台湾のような黄色いタクシーのような規制は企業活動には加えられていません。このあたりは日本と台湾、かなり面白い対比です。
昨日も書いたように、優先席に若者が座らない文化も含めて、違いを見て、その原因を探るといろいろ面白いことがわかるのかもしれません。
似たような点は、研究室で互いにどう呼びあうかです。
外国のながい若い人に聞いたら、苦笑いして、帰国してしばらくはファーストネームで学生を呼んでいたが、とても居心地の悪そうな感じで、いまは苗字を呼んでいます、わたくしにも、教授とか博士とかよんでいます、とのことでこれは日本とよく状況がにているようです。

これから、午前中はこのあたりをぶらぶらして、昼過ぎに空港に向かい、夜には家に戻る予定です。

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