サダムフセイン元大統領の処刑、ことし一年のブログ

ネットニュースを見ると、BBCはフセイン元大統領の死刑執行を断定してますから間違いないのでしょう。
このアラブのかつての英雄、と同時に悪名たかい独裁者も生涯を終えることになりました。わたくしのほとんどの知識は一冊の邦訳本サダムによっていますが、罪ばかりでなく、功もまちがいなくあった独裁者でしょう。
米軍の侵攻によって、いまもイラク国情は混乱を極めています。しかし、イラクにとっての大きな救いは死刑判決がでた法廷がイラク人によって行われたことでした。外国の影響があろうが無かろうが、裁判長もイラク人、被告もイラク人で、大声でやり合っている法廷は世界に放映されました。ですから、フセインの命を奪ったのがイラク人であるからには、これから先いかなることがあれ、この法廷の論議はイラク人によって、納得できるいまで行えるでしょう。
それに引き替え、日本の東京裁判はまったく違うものでした。東京裁判と同時に行われた多くの戦犯裁判は外国人が法廷で日本人を裁いたものでした。日本人はただの一度も日本が起こした戦争の責任者を裁く機会を持てませんでした。
日本人はあの裁判以来、「ふぬけ」になったというのがわたくしの個人的感慨です。
その「ふぬけ、腑抜け」状態が半世紀以上も続いているのです。
わたくしは日本人でありながら、可哀相な日本人と、感じます。イラク人がこの点で羨ましいです。
日本における社会的病いの大半はあの外国人が日本の戦争犯罪を裁いて、それにたいして日本が世界になにも言えなかった状況に起因するとまでいいたいくらいです。
風が吹けば桶屋がもうかるという類のロジックに聞こえるでしょうが。

これで2006年もあと一日で終わりとなります。
この一年、雨の日も風の日も、国内にいるときも海外に居るときも、とうとう一日もやずまずにこの1年間このブログを続けました。
小学校の頃にわたくしが熱しやすく冷めやすい、三日坊主になりやすい、と批評してくださった、あの先生にこのブログを見せたら褒めてくれるでしょうか。

この一年間、色んな人達にブログについてコメントを頂きました。
ありがとうございました。
最高の賞賛は、柳田さんはロックシンガーのようなキャラクターなのですね、でした。
最悪のコメントは、(自分のラボの院生が)先生のブログを読む時間があるくらいなら実験でもしてほしいとわたくしの面前で言った、ある若手教授のものでした。

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