昨夜は病院に見舞いにいきましたので、東京に泊まり、昼から分子生物学会の研究倫理に関する委員会とそのあと学術会議のイノベーション委員会にはしごをする予定です。後者はたぶんきょうの会合で終了になるはずです。
学会の研究倫理についての取り組みはこれまでほとんどありませんでしたから、形式的には白紙からの議論です。そんなんでいいのか、という批判の声も聞こえそうですが、取り組みが遅いという以前に、このような問題は研究者の個々のレベルで解決できるはずだ、学会が乗り出せるような問題ではない、という考えが強かったことはまちがいありません。
いまとなれば、古き良き時代の考えで、昨今のシリーズでの出来事をみればもう通用しなくなったことは間違いありません。
特に、杉野教授が学会で枢要な役割を果たしてきたことからも、この件だけでも詳細な調査・報告が必要と思われます。さらに、学会として今後研究倫理の全般的なことについてどう取り組むのか、きょうはそのあたりが話題になるはずです。
日本ではほんの数年前では、生命科学研究において、研究倫理については社会の目というか関心を引くような出来事はほとんどありませんでした。もちろん研究不正などで職を辞するようなケースはありましたが少数なのと、組織防衛もありマスメディアで報道されることは稀でした。しかし、この一年間くらい多くの出来事が報道されるようになり、研究社会では捏造や研究不正が横行しているのではないかという印象が、拡がりつつあります。実態がどうなのか、わたくしも本当のところ分かりません。
さらに関心を引くのは、わたくしがこれまで関心を持ってきた、研究の犯罪とでもいえる、完全な捏造論文公表の行為から、研究倫理の問題は格段に拡がってきました。
組織管理レベルでの規則や一般的な研究マナーからの逸脱や、研究費の不正使用など問題が広汎に捉えだされています。
この流れは、研究者社会では行きすぎると困る点があるのですが、しかし社会的には大変好ましいことであるに違いありません。単に税金を使うからということでなく、研究とか学術というものはどのような環境で行われるべきなのか、社会を巻き込んだ議論があることはそれ自体大変に素晴らしいことです。
そういう点で、今回の関西テレビ(フジテレビ系列)の「あるあるなんとか」という番組での「納豆ダイエット効果における捏造」は当事者にはお気の毒な面もありますが、大変に教訓的なできごとだし、わたくしのような人間にもいろいろ考えたくなる点があります。
番組自体、残念ながらわたくしは見ていませんが、この比叡山近辺でのスーパーでも翌日から納豆の多くが消えるくらいによく売れたということを妻から聞いてました。報道の効果のすごさと効果を実感出来ます。政治的なデマとかに使われた場合の怖さも想像できます。
一連の出来事から、多くの提示されたデータが捏造なことは間違いありません。しかし、たぶん当事者は捏造をやったと自覚してなかったでしょう。
捏造ではなく、「真実」に番組内容を近づけるために、努力して出てきた目の前のデータを「真実のために改竄・偽造・捏造」したのではないでしょうか。よくある話しです。
番組担当者は番組を作る前から、納豆がダイエットにいいとかいう、「真理」をより効果的にしめすために、いまの日本のテレビのすべてがひたりきっている「センセーショナリズム」のテクニックをちょっと使ってしまったのでしょう。きょうのわたくしのブログの真ん中のタイトルもわたくしの出来るセンセーショナリズムの一例です。
このような過剰な演出効果はわたくしは「バラエティにおける北朝鮮当局的演出」と個人的に名付けています。セリフをよむ女子アナとかナレーション担当の声色は本当に北朝鮮当局の報道の声色と類似しています。
脇道にそれましたが、この「真理」に一歩でも近づけろ、聴取者を納得させろとお尻を叩かれた、最下層の下請けプロの可哀相な人たちが捏造データを作ったと、わたくしは想像しています。
なぜわたくしはそのような想像をするのでしょうか。
実は捏造を常習的にする研究者のマインドの多くは、そのような「真実」と非常に類似したものを持っているのです。そのような「真実」があるはずなので、それにあわせたデータを作ることは「許される」と思いこんでしまう人たちが研究の世界にもいるのです。わたくしが知っている研究上での捏造者の一部にはそのようなマインドの所持者がいます。始めてそれを知ったときには驚いたものです。しかし、そのような事例が多くなるにつれ、またか、という感があります。
科学というものはどのようなものであるのか、その根本を理解してスタートしないと、この関西テレビ社長がなかななか捏造を認めなかった、背景が理解しにくいでしょう。研究者の多くは、前もって持っている「真理」に反するデータを見ると大抵それは何かのエラーがあったのだろうと廃棄します。わからないことはわからないとはっきり言えること、結論のできないことははっきり結論できない、こういう能力を持った人たちが職業的科学者なのでしょう。こういう人たちのいないグループが「科学的番組」をつくることの根本的無知さを関係者は思い知るべきです。
バラエティ番組の担当者がそのような訓練を誰も受けてないのであれば、「面白い科学番組」を作ろうとすればほぼ必然的に捏造行為は起きるでしょう。
地下鉄の広告をみると週刊朝日がまた沖縄大学院に関係した記事を出してるようです。こんどは財務大臣に関係してるようです。
たしか、だいぶ前に、沖縄大学院はニュースの宝庫という表現をこのブログでしましたが(2006年11月30日)、その予言が当たってしまいました。わたくしの意図した意味はすこしちがっていたのですがーーー。