あるある番組の顛末、いちばん向いた職業

あるある番組の顛末が読みたくて、週刊朝日を買って帰宅しましたが、記事をよむとやはり予想通りとはいえ、なかなか迫力のある記事で、次々に捏造の顛末が記述されています。捏造自体のいきさつはなるほど、たいへん悪質なのですが、しかしたぶんこうだろうと思っていた通りです。さいしょからストリーありきというか結論ありきで、それに合うコメントを何が何でも誰か識者、研究者から得られれば、万々歳という路線の貫徹なのです。現場は必死になって希望通りのコメントかデータをえるべく必死に努力しているという経過のようでした。
得られさえすれば放映OK,もしも得られなければ捏造しかない、という最初から結論ありきのやりかたです。これをたぶん毎週毎週繰り返していたのでしょう。その目でみれば、ひどいもので、その目で見なければ面白い人気番組でした。
分からないのは、その結論をつくって、なにがなんでもしゃにむにその通りの番組をつくらせたのは誰かということです。
その誰か、は単数か複数か。わたくしはいちおう単数と思いたいです。こういうストリー的なものに固執するのは、捏造に才能豊かな個人とおもうのです。そんなに沢山そんな人がいるとも思えません。
その首謀者をみつけるのが、ここまで来たらマスコミの責務でしょう。ここをあいまいにしたら、いつもの日本的な記事で終わってしまいます。

わたくしは若い頃から、何かの本で読んだ知識で、人間は二番目に向いた職業で人生を送ると言うのが大変気に入って、いつもそんなことをいってたものでした。自分にとっても研究者は二番目に向いた仕事とおもっていて、何が一番自分に向いていたのか、この年になってもときたま考えたくなるものでした。
それがフランスの小説家プルーストの言葉だと知ったものでした。
なにか違うような気もするのですが、出自をいちおう知ったことで、安心してこれからもいえます。
自分の脳裏に浮かんだいちばん向いている職業は、「何かの」批評家、ジャーナリスト、軍隊の参謀、映画監督、彫刻家、陶芸作家、登山家、百姓、新興宗教の教祖、などなどたくさんありました。口舌の徒か無言でいいか、どちらかに振れるるのも面白いです。

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