論文の正しさについて

13日の金曜ですが、さわやかな夕方です。頭の痛くなる大型の書類を書いてましたが、やっとかたちがまとまり、研究室の大勢の人達の意見を聞いてるところです。意見はいろいろで、まとめるのに苦労しそうです。でも、2,3かなりクリエイティブなコメントもあり、書き直せば大分ましになるような気がしてきました。自主研になったせいか、いろいろ強い意見を言ってくれるメンバーが増えて心強い、意見を集めてるあいだ、沖縄のMS君の論文をまとめ出しました。来月末には留学なのでそれまでにはかたちにせねばなりません。プロダクティブなのはいいのですが、わたくしとしては気が休まるときがありません。

先日、相澤さんというかたがこのようなコメント、質問をしてまいりました。
「先生のおっしゃりたいことを理解しているつもりで、一言コメントさせて頂きますが、今回の”わたくし自身も自分の研究室から公表する論文内容の100%が正しい等とは思っておりません。”には、多少補足説明を加えられた方が良いと思います。100%正しいとは思っていない段階で投稿される場合もあるのでしょうか?」

たしかに舌足らずの表現でしたね。でも、これ、うかつに答えられません。もちろん、正しいとは思ってもない段階で投稿することは絶対に有り得ませんが。ただわたくしが定量的に100%といったことに注意して欲しいのです。
論文にはRight or Wrong (正しいもしくは誤っている)という定性的表現がふさわしい正しさと、correct とかaccurateとかexactのような定量的表現になじむ正しさの二面がありますね。
どちらも大切で、どちらかを軽視するとひどい目にあいますね。昨日のぶろぐでもわたくしがうっかり原生生物というところを原生動物と書いたものですから、
「揚げ足を取るつもりではないのですが、Chlamydomonasは単細胞性の緑藻で、原生”動物”ではないですよぉ! 素人の書いたものなら、まぁ、しょうがないかと放っておくところですが、プロの生物学者の文章に生物学的な間違いがあるのは良くないと思い、僭越乍らのコメントでした。」とさっそく注意されてます。論文中にこのような誤記がたくさんあればそれだけで、結論など無関係に論文はまずどこも通らないでしょうね。しかし、わたくしもこのブログを投稿するときには誤りは無いつもりでいましたからね。どんな論文でも驚くほどの数の誤記があるものです。このブログを書くときの100倍くらいは努力して注意してもです。経験的にそうなのです。

野球のイチロー選手に毎回どんなつもりで打席にたつか、4割打てればすごいと思ってるかと聞けば、たぶん毎打席全部ヒットを打とうと思ってると答えるでしょう。でも結果はみなさんご承知のとおりです。
論文では単純なミススペルから、遺伝子の誤表記のような比較的単純なものから、その程度で深刻さが雲泥に異なる実験結果の誤り、それにこれも雲泥の違いがある解釈の誤りといろいろな誤りがありますね。わたくしも200以上の論文を書いていて、いろんな類の誤りを、後になって見つけてます。折々に、このブログでも紹介しましょう。
毎回、毎回、論文を投稿するときにベストをつくしても結果はやはり100%正しいということは無理、というのがわたくしの体験からの結論です。でも毎回ベストをつくす、これしかないですね。この相澤さんという方が、わたくしどもの研究室の過去の発表論文の「正しさのレコード」をある程度ご存知だと、話しもしやすいのですが。はっきり言うと、そのレコードを知らないと、このわたくしの言動の意義は誤解されやすいし、分かりにくいと思われます。しかし、しかたありません。
ただ、論文には「Right or Wrong」というのと「Important or Not important」というのと「Interesting or Not interesting」という定量的表現にはあまりなじまない評価がありますね。この正しいもしくは誤っているというのは「結論」の部分ですね。データの解釈とかデータそのものも含めて、この定性的な「正しさ」を出来るだけ追求したいものです。きわどい結論を書くか、慎重になって書かないか、可能性として併記するか、誰でもが考える迷う点です。でも結果はどうですか?多くの論文は一過性の命しかありませんね。データはそこそこ正しいのに、結論が的を得てない論文がいかに多いことか。自然は厳しいですね。正解をなかなか教えてくれませんから。
Rightでimportantでinterestingな論文をイチローの打率なみに出せる研究者がいたら、彼と同じくらい立派なのでしょうね。

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