啓蟄の頃、3年という月日

暖かい日でした。4月末から5月にかけての陽気とか。
時期は啓蟄の頃となりました。
庭にでていろいろ作業はしましたが、虫で見たのは冬眠の終わったテントウムシくらいでした。
そのかわり、たくさんのお百姓さんが働いているのをみかけました。
いっせいに畑仕事や、水田の整備が始まった感がありました。
猟友会のグループも山の中で、動物をおっているようで、銃声がしたとか。
農閑期も終わりでしょうか。
わたくしも土に触れだしました。

沖縄のプロジェクトが始まって三年経ちました。3年前にはまだラボはなにもなかったのですが、予算を使って設備などの購入を始めたのが3年前のこの時期でした。年度末までに予算を使わないといけないこともあり、Sさんが頑張って大車輪で予算を消費しつつ新ラボをセットアップしたものでした。
実際にSさん達が塗料の臭いの立ちこめるプレハブのラボにて何かをはじめたのが5月の連休明けでした。
3年は長いと言えば、長いし、短いと言えば短い、この3年という期間のサイクルをなんども繰り返しながらわたくしも研究稼業を行ってきました。
最初のサイクルはたぶん19才の頃から実際に研究を始めだした22才頃とすると、3年さいくるをもう15回も繰り返してきたことになります。
今回の沖縄の3年は、京都との二重なので、他の時期の3年と比べるのが難しいのですが、研究面ではまったく違ったことをやり始めた感があったのが、3年経って、二重の感覚が薄れて、かなり頭の中で連続性をもってつながってきました。
いつもと同じですが、最初の2年間は潜伏期くらいにおもっているくらいでちょうど良くて、3年目、とくに2年半以降に急速に物事は進展するものです。
この感覚は経験したことがないと分からないのですが、何かが融けて溶解するときの現象のように一気に色んなことが変化してくるものです。
昨日もこのブログで触れたように、研究テーマが血肉化するというか頭の中であったものが肉体化するという感じになりました。
ここから、どのような展開をするのか、もちろんまだ分からないのですが、このわからなさが、研究をやっているときの一番のおもしろなのです。
無から有を生じさせる、これがわたくしの研究における楽しみというか、面白さを感ずるところなのですが、それはどんな面白さなのか。
期待感のような、面白さなのです。

花火を見る面白さは、有が無になる瞬間の面白さにあるような気がします。
無が有になる瞬間の面白さは、有になったものが常に面白いものとは限らないところにあります。有になったものを見て、ああそう言うものだったのか、期待とは違って幻滅することだってあるわけです。
ですから、無にある時期にこそ、いちばん期待が膨らむのです。有になってしまえば、具体化してしまって、それがそこそこ面白ければ、あとは力仕事の頑張りで、公表に向かうわけです。たとえものすごく面白くても、やはりおなじような力仕事がまっているのです。
ですから、いまぐらいの有の気配をかんじるものの有がなにかわからない時期の「無の時代」が一番楽しいのです。

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