数字の羅列からなにがわかる、博士学位のための長い期間

昨日沖縄からきたN君との議論の続きを比良のほうの家で続けることにしています。なにしろ数字の羅列のデータの話しなので、やたらに時間がかかります。そのわりにはっきりしたことがすぐ言えることがないというのが、systems biologyの特徴なのでしょう。しかし、データ自体は驚くほど正確無比なので、数字にまさに罪はないのです。
あえてたとえて言えば、全国の人口動態を年ごとに、すべての市町村村落にわたるまでのデータを見て、その市町村の特徴を掴もうというような類の努力です。現地に行ってみれば、一目瞭然なのでしょうが、数値データだけ見て何かを予測して、その推測を実験的に検証しようと、こういうものです。
医学の大半も体のその現場に行って、肉眼なり、顕微鏡なりで直接みるかもしくは試料採取してしらべればすぐわかるのに、それが出来ないのでいろんな技術が発展して来たわけです。
わたくしたちのやっているのは、もっと具体性に乏しくて世間のかたにはなかなか伝えにくいのですが、とりあえずしらみつぶしに数値のでる機械(質量分析機)をつかって、網羅的なデータをだして、興味をそそる変化を示すなにか特定の市町村(遺伝子)があれば、そこを調査して、なぜ?という問いを発するのです。
わたくしの晩年の研究の一翼がこういうものになるとは、まったく夢にも思いませんでした。
半世紀近くまえに、大学院の受験のために勉強した代謝学とか栄養学とかそんなおぼろげな知識をはたいて、そのうえに最新の技術でえられたデータとネット上ですぐアクセス出来るデータベースを利用して、新しい学問をつくろうなどと考えているのです。ドンキホーテ的かもしれません。でも、わたくしの最後のよりどころは、素人こそが、あたらしい学問を作るという心意気であります。

昨夜ロイヤルソサエティーの編集者から、2年前に書いてPhylosophical Transactionに総説でだした論文が過去半年間でダウンロードされた最多の一つであるとの知らせがありました。あまり文献として引用されているとも思えなかったのですが、結構読まれてはいるらしいようです。誰かが賞めてくれたのでしょう。さもなければこの特殊な雑誌を見る人がいるとは思えません。そういえば米国で何人もの大学院生にとても面白かったと言われたことありました。
自分ひとりで骨身を削って書いたものですから、読まれればありがたいのひと言です。

きょうは、議論が終わった頃に、F君夫妻がやって来ます。かれの学位論文(論文博士)提出と審査終了をお祝いしてというところです。もう学位のようなことでは、そういうお祝いの会などはわたくしは決してしないのですが、彼は例外です。「年収数千万円の道」(?)を蹴って、よくぞ6年も当研究室でひたすら学問に励んだということに、わたくしはかなり申し訳ないと思っているのです。特に、彼は正規院生でないこともあり、たぶん3年か4年くらいの在籍と誤って思いこんでいたので、そのあたりの認識不足の罪滅ぼしもあります。といっても、たべるほうの準備の労力は妻がはらうので、妻にもお願いしてのことであります。
N君は学位をとるのに9年かかった、もう決して破られないであろう、最長不倒距離というか期間を誇るので、その席に同席するのにふさわしい人物でしょう。F君の夫人も博士ですが、そちらのほうは順調にとれたようなので、そのあたりも婦唱夫随という日本的な婦夫円満のスタイルになれる素地はあります。ただF君夫妻がそのような道をめざしているかどうかはしりません。

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