きょう午前中、義母の49日の法事が都内G寺でありました。そのあと、義父の法事があったときと同じところで故人を偲んで、昼食を親族とともにとりました。ついこの間まで元気にしていたので、義母の思い出には強いものがあります。時がたつにつれて立派な人だったな、とおもいます。
孫のAのインフルエンザは快方に向かっているらしいのですが、大事をとって、娘はもうひとりのRだけを連れてきました。わたくしがプレゼントに買って持ってきた4冊の本のうちの一冊に特に強い関心を示したようです。あの本に関心を持てるとすると、じじ馬鹿の推測ですが、知能のほうの働きはかなりいいほうでしょう。
向井・高田夫妻の双子の子供たちは、子供とは認められないとの最高裁判決の記事、朝ホテルで読売で読みました。代理出産ですから、まちがいなく夫妻のお子さんですが、現在の民法では認められない、だから子供ではない、という理屈らしいです。
それじゃその子達は誰の子供なのか、教えて欲しいというと、どんな返事がくるのでしょう。
たぶんその代理母になるのだと、最高裁の裁判官は答えるのでしょうか。
それじゃ、父親は?と聞けば、そんな外国でやった代理出産など知らない、と返事するでしょうか。
別に最高裁判決を強く批判しようとかそう言うことではありません。
頓智も大岡裁判もなかったな、という感想です。
向井夫妻をなんとか助けようという、気持もまったくないのだな、と思いました。
向井夫妻は、正面からこの問題にぶつかって、高裁でいちど主張が認められかかったのですが、最高裁で駄目、という判断が降りたわけです。正直者が馬鹿をみる、という好例でしょうか。
正面からいかないで、米国で子供というお墨付きをもらってくれば、それで日本では子供になれるのですから、これからはそういう方式をとる人ばかりになるのでしょう。
正直に問題を日本にもちこんあ向井夫妻のお子さんたちは、実の両親に育てられても、日本人にもこのままではなれないし、いろんな難しい問題に直面するのでしょうか。
気の毒です。
しかし、このような問題に限らず、結婚や出生については、社会と法のあいだでは大きなギャップがあるのが世の常なのだと思います。大げさに言えば、それが人類の歴史でしょう。人間は進歩しないのですが、技術が進歩してしまうので、それで変わらざるを得ないのでしょうか。
かつてカトリック教会は避妊することも認めていませんでした。たぶん、コンドーム使用を認めたくなかったのでしょう。
人工流産もいまだに認められてない国や米国だと州は相当多いはずです。
一方で、日本ではなぜか人工授精は認められ、反対の卵子を頂く方は、公序良俗に反するということになっているはずです。公序良俗の規範こそが新しい技術でころっと変わってしまうのです。
いつの日にか、人工子宮が出来て、女性は妊娠と出産から解放されるような時代が来るかもしれません。