講演時間について、日本人研究者の英語能力

前に中曽根元首相の講演を聞く機会がありましたが、たしか20分という講演時間を、10秒の単位でピシャッと終わったのに感嘆しました。いわゆるセレモニーの挨拶でそういう時間がおしている状況ではきちんと頼まれた時間で終わる技術を持ってるのだな、と深く感心したものです。
そういう意味では、次から次に講演者が登壇するシンポジウムでの自分の講演時間の使い方、わたくしなど何歳になってもなかなか熟達しないな、と自覚しています。
聴衆は自分が思ってるほどにぜひ聴きたいなどとは思ってないので、自分の出来る最大のサービスは時間通りにきちんと終わることだと思ってるのですが、それがなかなか出来ないのが研究者の癖かなとおもいました。明日は、自分の番が来ますので、気をつけましょう。

それに対して、日本人の研究者の英語発表能力は最近非常に上がったのではないかと、今回は感じました。どうしてそう感じたのか、今回だけの現象なのか、よく分かりませんが、みんな上手じゃないか、下手なひとはちょっとしかいないじゃないか、と正直思いました。
これなら、フランス人よりも書く能力だけでなく、しゃべる能力でも上回ったかな、などと余計なことを考えながらきいてました。
このように感じた伏線は、講演者のある程度の割合は前から知っている人達が多いのですが、その彼等の英語のでの発表能力が向上していると感じたのです。
外国語は生涯学習の最たるものですから、そういう意味で、みなさんが努力しているあかしなのかもしれません。
聞き苦しい発表がまずなかったのは大変良かったでした。時代の変化を感じるべきなのかもしれません。
英語っぽくしゃべるのが今の時代は当たり前、昔はむしろ下手にしゃべるのが男意気みたいな人も結構多かったようにおもいます。ある先生など、関西弁でずっと日本語でしゃべってると思っていたのが、しばらくして、それが英語らしいと気がついて愕然としたのが、懐かしくおもわれます。

ただ、質問などは若い人があまり出て来ないので、ちょっと残念です。アグレッシブな若者は少ないです。アグレッシブになっても意味がないと思ってるのでしょう。本当は意味があるのですが。

植木等さんが亡くなられたとのこと。わたくしは、かれの無責任男の映画をみて、こういう風に生きたいと思ったものです。その時、自分が中学生だったのか、高校生だったのか、そのあたりの記憶がはっきりしません。
いまネットで調べたら、1962年とありました。大学生の時のようです。そうか、そんなおとなになってから、影響を受けたのかと分かって驚きました。

タイトルとURLをコピーしました