Rさんのセミナー、ノーベル賞をもらうような人達

きのうの続きですが、RさんのセミナーもHさんと同様に大変おもしろく聞けました。狭い部屋だったのですが、沢山聞きにきて、たっている人もいました。もうしわけないことです。
Hさんの時もそうですが、ほとんどが若い人達の聴衆で大学から正規に給料をもらっている人がほとんどいないのが特徴でしょうか。そのあと、息子さんと三人で晩飯にいきました。しっかりした息子さんです。

きょうの土曜日は彼が息子さんと、かつて彼のラボでポスドクだったKさんと一緒に家のほうにこられました。落ち着いていろんなはなしが出来ました。

昔話もすこししましたが、たしかに彼が遺伝子関係できわめて初期の時代にかかわっていたことは確かだと言うことが分かりました。いろいろ出てくる人名もなつかしい響きがありました。
わたくしも70年代のおわりに分裂酵母の研究を開始してしばらくは地盤も看板もなく苦しみましたが、そのまえのファージをやってる時代の人脈で生き延びた感じがします。というか、ファージの時代のわたくしの実績を知ってる人達がいろいろ助けてくれるというのか、良く言ってくれて新しい分野での生き方が可能になったものです。
それと同時にわたくしも無意識にも意識的にも新しい分野での知己を増やすべく努力したものです。

Rさんはわたくしよりはるかに若いですが、それでも比較的近いところの人脈だとおもうのは、彼が大学院で最初に回ったラボの人達はわたくしのよく知っている人ばかりだからです。GDさんなどはわたくしが10年間やったのと同じファージを使い、一度は非常に近い分野になったものです。当時の彼の同僚だったKNさんなんかも今ではわたくしとは驚くほどちかい興味で研究をされています。ある意味で、信じられないことdす。

ノーベル賞をもらったような人達とのつきあいというか知り合いも結局70年代半ばから80年代前半が多かったのは不思議な感があります。もっとずっと前のWAさんなどは毎日夕方ボンソワールと挨拶する隣室で研究をされていた方なのですが、研究上の交流は薄かったので、そのような報道があったときには本当に驚いてしまったのですが、70年代から80年代前半にかけて知り合った人達は、研究内容をかなりよくわかっていたので、彼等の研究の世間での認知のされかたの変化をウオッチしながら、そういう時期がくるのを期待感をもって理解していったものです。
この細胞周期の世界の活発な研究者はもうノーベル賞が三人もでてしまったので、アンビシャスなひとたちは違った世界に移っているのでしょう。そういう点、Rさんのような研究面で至近距離にいたひとがなにを問題としてえらんでいるかはそれなりにウオッチする価値は非常にあるでしょう。
わたくしは、彼はかなりいいところをついていると思っています。そういう表現は失礼かもしれませんが。
しかし、なんといっても競争が激しいので、だれがどう大きなものをつかむのかはまったく分かりません。しかし、DNA損傷の周辺には大きな問題がゴロゴロころがっているのは間違いないでしょう。

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