左奥歯のおやしらずがなくなったおかげでなにか新しい生活が始まるような気がします。
研究室の経営などほんとに面白くない話題で、コップの中の嵐よりもつまらないと思うのですが、ここ数日訪問ヒットというのでしょうか、なにをほんとに現しているのか分からないのですが、それがまた急増してきのうはとうとう三千という数です。
まったく、不思議です。前にも触れたように、わたくしのブログは開始した最初の数か月は2,3百だったのですが、その後、週日が千くらい週末がそれより2割減でだいたい安定して、二年くらい経ったのですが、なぜかわかりませんが最近増えました。
さらに最近、このラボ移転でのわたくしの興奮ぶりが面白いはずはまったくないので、それにところどころ入る京大的な学内運営が興味をそそるのかもしれません。ブログの訪問者数というのは、決して多ければいいのではないので、気をつけなければいけません。
しかし、何人かの人々と話して、久しぶりに忘れていた京大的なるものを味わっています。
わたくし、むかし、京都大学新聞に京大三分割という極小の支持と大方の不評を買った、エッセーを書いたものです。つまり、京都工科大学、京都医科大学と京都大学にすっぱりと分けたらいいのではないか、というようなものです。ボストンのハーバード大学、ハーバード医大、マサチューセッツ工大をなぞったものでまったく独創性のない議論ですが、それなりの意義はあったようです。京大の医学部や工学部の学内での動きを傲慢とおもっている京大人は多かったですから。
当時は大学の統合ばかりが論じられていたので、分割も悪くないじゃないか、という程度のものでしょうが。
しかしいまとなると、わたくしは政治的には二つの大勢力をまったく視野に入れてなかったことに気がつきます。
ひとつは、京大のなかのもしかしたら唯一の縦断的な存在である職員組合を核にする左翼、というのかはっきりいえば共産党・社会党支持層の存在です。いまは職員組合がああても実質的には影響力は強くないようですが、しかし強固な人脈が年齢的に50代から60代にかけてあるような気がします。なにかの折りにこの層は出動するような気がします。
こういうことはは現役教授時代には言えても書けなかったでしたが。いまは一研究員ですから。
ひとつは宇治キャンパスの存在でした。工学部が移転しつつある桂キャンパスよりずっと古く歴史もあるのに、また見るべき研究業績もかなり上がっているのに、すっかり視野にありませんでした。これが百万遍界隈にいる人間の傲慢さです。
しかし、詳しくは検証しませんが、いまの京大の組織を動かす人々は、宇治関係の人脈が多い感じです。
京大宇治時代なのかもしれません。相対的に、吉田キャンパスの政治的活力が足りないのでしょう。
宇治には平等院の栄華がありました。21世紀初頭の京大にもいまあるのかもしれません。そういえば、宇治キャンパスのある、黄檗には○○プラザという京大の新しい建物が建つとか聞きました。
総じてつまらない話しできょうはすみません。