今朝、出かけようとおもったら強い腹痛を感じました。しばらく横になっていたら、痛みは軽減しないのですが、1時間くらいたってもう一度トイレにいったら柔らかいのが出て、急速に痛みが取れたので、まあ大丈夫とおもいました。歯を抜いたあとで、毎食後抗生物質を飲んでるので、腸の様子がおかしくなったのかもしれません。しかし、ちょっと昼近くまで休もうとおもい、ついでにこのブログを書き始めました。
N君の原稿、やはりもうすこし実験が必要というのが、議論の結論です。K君のrevisionまあ悪くない流れです。Aさん、頑張ると空回りになりがちなところあり。本人も分かっているのですが、解決策はわたくしもなく、とりあえず急ぐときほど土台に近いところのデータが必要なものです。
耐震工事、これくらいの錦の御旗はありません。だれもがひれ伏します。このご紋が見えないかと、怒鳴られてちらっと見れば、しっかり「耐震工事予算あり、喜べ」、とあります。国からのお金が出る以上、反抗も反論もしようもありません。工事次第で、そこに住む住人をとりあえず退去させるにはまず最高の方法です。その建物で働く人々の生命を守るという名分ですから、批判は不能です。それから、知識がないので、この建物は危険です、といわれたら、姉歯事件の反対のケースで、もちろんそのご判断を信じる以外に道はありません。わたくしは心の底でまったくの茶番劇と思っているのですが、そんなことを表だっていうわけにはいきません。
京大ではこの耐震工事に100億円がことしは予算としてついたときいてます。これからもまだまだ予算がつくだろうと予想されています。工学部の桂キャンパスへの移転は遅々として進まないのですが、この耐震工事はどうもどんどん行われる気配です。学内ではいろんなヘンなことが起きてるようですが、そのあたりのアンバランスが原因でしょう。
いろんな悲鳴が聞こえてきます。わたくしが昔いた理学部の建物も耐震工事ですが、元へ戻れるためには、二度の引っ越しとその間の居場所を確保しなければなりません。
耐震工事後もとへ戻れるところはまあその後は同じような生活をするので、だんだん工事があったことも、忘れることでしょう。
しかし、元へ戻れないところもあるのです。わたくしのところは当初はそういう話しでした。京大本部としては耐震工事、これを機会に構内の再配置に利用する絶好の機会と思っているはずです。大学人というのは誰かと似ていて、土地の所有欲がきわめて強く、陰湿な争いがよくあります。
しかし、この耐震工事、住人を建物から一時でも退去させ、そのうえ国のお金を導入して改修して後に元へ戻す過程で、あなた達のいる建物は自分のものではありませんよ、いつなんどき出ていってもらうかわかりませんよ。こういうことを大学経営者が、大学の教授以下の人々に分からせる最高の手段に見えてきます。
外聞は悪いですが、まあ地上げみたいなものですね。
土地の整理分合をして公共用地を生み出し、なおかつ地区全体の土地の価値を高めるというのが公的な地上げ。細切れの状態で強引に土地を買い漁り、街区単位でまとまった段階で転売して膨大な利益を上げようとするのが、いわゆる地上げ屋。これらは、善と悪、いちがいに言えな言えないものです。もちろん地上げなどと、決めつけてはいけません。あくまでも仮の解釈です。
問題は再配置計画の内容です。これは京大では長年行われているはずなのですが、最近はその場しのぎが増えているような気がしてなりません。長い目でみれば工学部と情報学は桂に行くはずなのに、現今の議論ではもうあたかもそれはなくなったかのような議論が横行しているようです。このキャンパスの中をどう利用するのか、その基本案をいまの京大の人間の大半は何も知らないでしょう。生命科学研究科は情報学研究科の出たあとに移ることになっていて、いまの医学部構内の建物は一時的という認識をわたくしは持っていたのですが、そういうのはなくなったとおっしゃる本部の人達がいるとのこと。これでは、将来像は局部的にも全体的にも見えません。工学部が去ったあとに、生命科学関係が本部構内で増えるのはたぶんベストと、我田引水でなく思うのですが、そういう考えはいまや排除されたようです。構内の端にちょこっと張り付くくらいしか残らないのでしょう。全学で次の時代を担う何かの学問を育てるというのはとても大切なことだとおもうのですが。
しかし、京大でおきてることはたぶん似たようなことが日本全国の国立大学で起きているにちがいありません。
地上げは完ぺきに成功したけれども、そのあとの計画はまったくの失敗だった、こんな風にならないように、しないといけません。国策にあわせてやってると、往々にして自前の計画を忘れてしまうものです。個人レベルも組織レベルも同じことでしょう。