何かまずいことがおこれば、その原因となるものを見つけて、攻撃なり批判なりするというのは、現代ではどこにいっても見られることですね。ただそれを声高にいえるのが自由社会でして、ひそひそでもいえるのは不自由社会で、それが言ってるのがわかったら官憲がやってきて、批判者がどこかに連れて行かれてしまうのは圧政社会ですね。ともあれ、声高に批判できる、これは間違いなく日本のことです。でも、よく見てると、批判しやすいものにはほとんどワンパターンの批判が出てくるので面白くないですね。昨今の靖国参拝問題、もううんざりしますね。マスコミの論調はまったく新味がないので、ほとんどの人にとって年中行事のことで、ただ今回は中国との関係でますます声高になるので、大げささがすぎてほとほと嫌になります。新味のある議論でもあれば真面目に考えるのですが。このことが今日の話題ではありません。わたくし、靖国参拝問題はかなり長期間考えてるので、意見を言い出せばきりがないのです。ただ、確かいっぺんこの件ちょっと結論めいたことはこのブログでも書きましたが。
今日は、このことを枕に書きたいことがあるのです。
日本人の英語能力が世界でビリ、とか会社に対する忠誠心が最も低い、子供が未来に夢を持つという点でも最低クラス、こういうことになるとマスコミも世間も妙に静かになりますね。この日本という国では。攻撃するのが大好きな大新聞の論調もせいぜい子供の問題は文科省がしっかりしてないとか厳かにいうくらいで、おとなしいですね。
前にも書きましたがなんで英語教育の指導者を批判しないのか不思議ですね。
この会社への忠誠心が世界で最も低いとか、これはどうなんでしょうか。批判好きの人なら誰を批判したらいいのでしょうか。今日はちょっと、この昨今の日本人が自分の勤める会社に忠誠心をぜんぜん持たないようになったらしいということを考えて見たいのです。ただまあかなりいい加減なことを言いますので怒らないで下さいね。
わたくしは会社に勤めたことがないので何もえらそうなことは言う気がありません。ただ忠誠心がまったくなくてもなにか別のことに楽しみを持って人生を送っていればそれでいいじゃないかと思うのです。自分の会社がつぶれたら困ると思う人や、会社が儲かれば即刻自分の給料が利益にスライドして上がるのならそりゃ見かけ忠誠心を持つのも大変いいでしょう。非常に運がよくて、仲間や上司が素晴らしかったら、特に経営者がとんでもなく素晴らしい人だったら忠誠心は自然に出るでしょうから、それもそれでいいことですね。
これからまた科学者にあるまじきと眉をひそめる人もいるでしょうが、わたくしは骨相学にこってます。確か前にもブログで書いたような気がします。もう30年以上はっきり意識して骨相学を実践してます。自己流で、理論はなくかなり直感に頼る一見怪しげですがあたる確率は驚くほど高いのであります。
たしかまだ子供たちが家にいた時代ですが、食事時におかずがわりに誰がこうだ、誰がああだと知り合いの人達の骨相判断を開陳したので、妻ばかりか子供にまでたしなめられてしまい、家では実践の成果を発表出来なくなりました。研究室でもわたくしの骨相学を聞いて喜んだり笑ってくれる奇特な学生はいなくなりましたので、もう誰にもこの技術と知識を伝える人間がいないのかと寂しい限りです。
閑話休題、わたくしがたまにあう大会社の経営者、なんでこんな骨相の人達がと思うような人達ばかりですね。例外は自営の経営者、創業者、この人たちはまったく違う人相をしてますね。別人種のような気がしました。例外はいくらでもあるでしょうが、経営者の骨相学的人格がかなり低いのはわたくしの見立てでは間違いありません。話しが飛びますが、グリーン車には滅多に乗りませんが、いつも感じることは、グリーン車の乗客の人品骨柄は普通の車と比べて相対的にはっきりよくないですね。ちらっと一瞥するだけなのですが、つまらないことをずっと考えてる人達が多そうな気がします。
こういう経営者のいる会社の社員が忠誠心を持たないのは当然だし、それでなんの問題もないでしょう。すこし日本の社会の上層部にいたことがある人は知ってるように、経営者は一般の人達に単に支えられてるだけでしょうね。一般の勤務者の邪魔を相当しても企業とは結構成り立ってるのではないですか。日本では大企業がたくさんかあるのでしょうが話題になる経営者はカルロース・ゴーン氏とか驚くほど少ないですよね。
わたくしは、歴史的に見ても日本人の大半は農民だったはずで、彼等が何かに忠誠心なんか全くもってなかったのは、「七人の侍」の映画で見事に描かれてますよね。歴史的に見て日本人の大半は非常にしたたかだったはずで、骨相学的にも古典的平均的日本人の相はなかなかしっかりしたもんです。だから戦後60年も経って歴史的には正常化の兆しがでてきたのですね。
こんなこと長々と書いてきたのも、それじゃこれからの日本人は何を頼りに生きていくのでしょうか、ということですね。これから出てくるのを期待したい、したたかな平均的日本人の骨相を知ることがわたくしの余生の楽しみとなりそうです。