論文を自分で書く

このブログを読んでいる人の中には研究者になりたいとおもうまだ高校生のような人もいるかもしれません。
そういう若い人の中でみずからアンビシャスと思う人がいたら、わたくしの忠告はなにはともあれ自分で論文が書けるように準備してください、ということです。
論文が自分で書ければ、こわいものは何もなくなります。たとえば指導教官と関係が悪くなっても自ら研究論文をかければ困難の打開もかなり容易になります。
それではどうやったら論文が書けるようになれるか。
簡単なことです。論文を読むことです。気に入った論文があったら、何度も読むことです。記憶に自信があったら、全文暗記でもすれば、さらに未来の道は明るくなります。若いときですから、一生わすれない記憶になるかもしれません。
古典として名声が確立した論文でなくても、実用的に自分が気に入った論文ならなんだっていいでしょう。とことん自分のものにすることです。そのやり方は、自分の好きな方法でいいでしょう。
そのようなことを自らトレーニングしたら格段にちがいます。昔の知識人がやった漢文を素読するようなことです。
いっぽうで、文章に関するいろんな知識を本を読むことによって学ぶことです。
事実をいかに書くか。
意見をいかに書くか。文章の中で意見と事実の記述を瞬時に見分けるすべを身につけるにはどうするか。
研究には動機、目的とか理由とか背景とかいろいろなかたちで、お話し的に段取りをつけて説明する必要があります。それらを書くうえで、広い意味での規則はあるものの、決して堅苦しい決まりがあるのではありません。事実をきちんとかき、誰もがりかいしうる意見を入れていく簡素な文章がかければしめたものです。
首尾一貫さえしてれば自由なスタイルで書いていいのです。しかし、
その広そうな自由が初心者をかえって苦しめるのです。ですから、こういう初期の時に好きなものを「模倣」するのがいちばん楽です。

学問の世間にアクセプトされる論文をかければいっぺんに自分の未来の地平線は拡がります。
研究室の主宰者になることを早く目指す人ならもちろんですが、そうでなくとも自分の好きなように研究するには、まず自前で論文がかければまったく違った世界で生活できるようになるはずです。
アンビシャスな人はと、最初にくくりましたが、くくらなくてもだれでもが、自前で論文が書ければ学問はいっぺんに楽しくなるはずです。

きょうはOさんとK君坂本の家のほうに来てもらって、二日目の議論をしました。
この論文は彫刻でいうと、いっぺん作った作品を一部作り替えるような作業がひつようになっています。しかし、作り替える前の作品は難解な表情をしたものでしたが、それが分かりやすくて力強い表情をしたものになるはずです。できあがりがどうなるかは、作品が完成するまでわかりませんが、しかしいろいろと良いものが作品から醸し出されてきています。

タイトルとURLをコピーしました