五木寛之、大塚初重両氏の対談をもとにした「弱き者の生き方」(毎日新聞社)を読み出しましたが内容が重いので、10ページくらい読むと打ちのめされたような気分になってしまい、なかなか進みません。通勤で読むにはしんどいのですが、でもどこでよんだらしんどくならないのか、そういう場所がありません。ただおふたりとも極力明るい話題を一緒に出しています。
ここ何日かで懸案の論文がひとつほぼ書けました。勉強せねばならぬ量がおおくて、なかなかわたくしの頭が整理されなかったのですが、ようやっと書くべきことは書けて、議論すべきところもこれでいい、とまで思えるようになりました。ずいぶんここまでくるのに時間がかかりました。
おとといのブログを書いているときにいやな記憶が呼びさまされました。
いつのことだったか、米国だったと思うのですが、知り合いの米国人の研究者と戦争中の話しをしているときに、米軍がが東京や大阪での無差別爆撃のやりかたはジェノサイド以外のなにものでもないようなものだった、もちろん広島、長崎の原爆はいうまでもないが、と云ったら相手がえらく怒るというか興奮して、例のそのおかげで米軍人も日本人も沢山助かったのだという米国教科書の説明を繰り返していうものです。ジェノサイドか米国教科書の説明かという不毛な言い合いになったときのことです。やめれば良かったのですが。
とうとう彼はとんでもないことをいいだして、そんなにおまえが俺の云うことに反対なら、もういっぺん戦争をしようじゃないか、とわめきだしました(わたくしにはそう感じました)。それで思いっきり日本人にはわかってもらうのだと、わたくしには支離滅裂な論理でしたが、つまりは「最後の言葉」がでましたので、そこで二人とも白けきって、議論は終わりました。そのご彼とはどこかであってもお互い知らぬふりの関係になったものです。かれはわたくしより5つは上だとおもうので、なるほど米国人のあるタイプの心の奥底を知ったような気分になりました。
今考えると、現在の米国人がアラブ人やビンラデンなどのテロリストに対するよりもずっと深い憎しみを持つように戦争中の当時の宣伝はあったに違いありません。反日の強烈なものが戦争中の4年間とそれ以前の何年間あったのですから、米国人が日本人を見る目は他の国とはまったく違ったものだったに違いありません。
戦後60年以上経過したとはいえジェノサイド的な爆撃は当然という当時の感情がすべての米国人から完全に消えたなどとはおもうべきではないでしょう。
わたくしは、この五木、大塚両氏の対談をおふたりの子供でなく孫の世代が読んで、日米戦争の本質をぜひつかんでほしいなとおもいます。日本人は、戦争体験をまず百年は忘れていけないし、日米戦争は千年というか、日本民族のつづく限り忘れてはいけないとおもうのです。前の大戦でたしかに日本人は加害者でもあったが、同時に筆舌につくせないような被害者でもあった、ということを忘れてはいけないとおもいます。それを考えることで、イラクの人達、北朝鮮の人達を見るまなざしも変わるはずです。