Q&Aの原稿の中でも書いたのですが、研究者の力の一つはやはり運だとおもいます。わたくしの考えでは運には二種類あります。
わたしたちは研究意欲をもって実験にいそしみますね、そういう点ではだれもが似たような境遇です。でも何を研究するか、何を研究上のスローガンとするか、これは一人ずつ違います。そこで、何を選んで何をやるか、それを決める、ここに「運」が介在します。若い頃わたくしは学生にはよく「犬も歩けば棒に当たる」と言ったものです。自分のやろうとすること、いろいろ理屈をこねる人は多いが、研究の発端は大抵のところ運が大きいのです。「何かとの出会い」、偶然的要素が高いですね。院生を犬にたとえて申し訳ないが、犬が棒に当たる、でもそれが「運」なんだと自分の体験から伝えたものです。歩かないと運にもぶつからない。一つ目の運はそういうわけで、「出会いの運」とでもいいましょうか。
二つ目の運は、確率的な運です。普通の意味での運ですね。低い確率を引き寄せる「運」は、強運ですね。運は釣りのように餌にかかった魚は上手に引き上げないと逃げてしまうし、運を傍に引き寄せる部分にいろんな人生の綾がありそうです。一方で、高い確率なのだから、出来ないはずがないのに出来ない、よほど運が悪い、こういうこともあります。でも長い目で見れば、人生でのこういう確率的な運はみな平等にやってくると思います。
もう20年くらい前になりますが、NOさんが人工染色体を作成した時の経緯は、この後者の運に恵まれました。NOさんはいまは千葉県にある著名な研究所の部長をしていますが、構造研の助手と助教授を長年にわたってやってくれました。
そもそも分裂酵母で人工染色体を作ろうという計画は比較的容易なものという考えで立てました。なぜなら、動原体の話しの時にも説明しましたが、既に米国のJC博士が出芽酵母で動原体と複製起点を有する環状プラスミドが人工染色体として振る舞うというのを示してました。基本的にはそれと同じような方法でやればいいだろうと思ったわけです。ところが分裂酵母の動原体はどうも非常に大きいということが当時院生のNY君の仕事ではっきりしてきてどうも、動原体DNAはプラスミドなどに挿入できそうもないくらい大きなものという推測が出てきました。
NOさんは今から思うとこの問題に最も正統的なアプローチで接していました。
そもそも分裂酵母では異数体は安定なのか?こういう疑問から研究を開始しました。異数体とは染色体の数が変化したものです。分裂酵母の染色体は半数体で3本なので、どれか一本増やしたらどうなるのだろうか。こういう疑問です。それに答えるために、triploid meiosisという2倍体と1倍体を交雑しました。その結果は、第3染色体が一本増えた異数体はかなり不安定ながらなんとか存続(継代)出来ることが分かりましたが、他の異数体はみな致死的でした。わたくしたちは大変喜びました。なぜならこの結果は高等生物に似てるからです。ヒトでは染色体は2倍体で23x2の46本ありますが、異数体として許容される染色体はごく少数です。ダウン症とかご存知ですね。
ところがこの結果を書いた論文を送ると、レフェリーのレスポンスはさっぱり良くなくて、面白がってくれません。出芽酵母での異数体が致死的でもなく、安定に存続するからだったのか分かりません。仕方ないので、Current Geneticsというジャーナルに1985年に発表しました。
優れた遺伝学者であるNOさんは、次なるアイデアを出しました。それはこの不安定な異数体に人工的に染色体切断を入れて、2本ある第3染色体の一本が非常に短くなれば安定化するのではないか、というものです。染色体の腕の部分を失っても、動原体と染色体末端テロメア配列を持てば人工染色体になるはずです。異数体の多くが致死的な理由は染色体が一本よけいあるので、過剰遺伝子発現による悪い効果によると考えられていたので、理屈も合います。わたくしはそれは大変良いアイデアなので、ぜひやったらどうかと賛成しました。
このアイデアは生きました。Ch16と呼ばれた3番染色体由来の人工染色体が第4番目の染色体として、不安定な異数体を放射線照射することによって得られたのです。大成功でした。我々は有頂天になって、次々に実験を行い、短期間で論文をまとめて投稿しました。
しかしこの論文も手厳しい扱いをレフェリーから受けました。価値を認めようとしないレフェリー達によって抹殺されかかった気が今でもします。この当時分裂酵母をやっている研究室は世界でも10箇所もなく、染色体をやってるグループもほとんどないので、レフェリーはどうしても別な生物の研究者に行きがちです。また前のブログでも書いたように分裂酵母動原体同定をめぐる確執もありました。50年経つと論文のレビュアーが誰で何を言ったか情報開示されるとか聞きますが、わたくしはもう生きてないでしょうが、どの連中がこの論文をあのような否定的表現で拒絶したのか、知りたいものです。この論文は抹殺はされませんでしたが、ふさわしい舞台には出せず、Molecular and General Geneticsというジャーナルに1986年に出ました。内容的にまったく誤りもなく、この分野のMile stoneになるべき論文だったはずです。他にもこのような目にあった論文はいろいろありましたが、その中でも特に記憶に残るものです。
さて最初の運の話しに戻りましょう。この人工染色体は両腕が切断され、そこに染色体末端配列(テロメア)が結合したものでした。このようなものが一回の放射線照射で得られる確率は非常に低いものです。NOさんのスクリーニングはかなり感度は良かったかもしれませんが、たかだか百万に一回の確率程度のものを選抜出来るくらいです。しかし、確率的にはそれよりもさらに格段に低いものの分離に成功したのです。いっぺんに両腕でなく、片腕で欠失した人工染色体はその後も何度も分離できましたが両腕とも欠失したのはこのCh16ただ一回だけでした。このCh16を使ってその後長きにわたって、多くの重要な実験が行われました。いまでもCh16やその誘導体の人工染色体は世界中の研究室で使われてます。
一期一会わたくしも好きな言葉です。一回ずつの実験は、まさに一期一会です。二度とない機会を与えてくれる実験かもしれないからです。