北九州での一日

小倉で新幹線を降りて、JR九州線というか在来線に乗って博多方向に向かうとやはり当然ながら工場地帯、京浜工業地帯とか風景は似ています。関西なら大阪から尼崎あたりですか。ただ車窓の風景と乗ってくる乗客にはのんびり感が漂っていて、その点で大阪とはだいぶ違うようです。途中黒崎の駅をとおりました。Tが40年前に働いていたときに訪問したと思うのですが、それ以上記憶がありません。彼も死んでしまったので、M化学という工場もあるはずですが、懐旧話しをすることもできなくなりました。
今日の講演場所はそのすぐ先にある折尾という駅で降りて、すこし内陸に入ったところのキャンパスであります。
このあたりに来たのは宇佐神社をお参りしたのが一番最近かもしれません。でもいつだったのかが分かりません。北九州の地理と記憶には暗いことがよく分かりました。それでも息子二人と中津に行って、福澤諭吉の生家を訪問したのは良く記憶に残っています。11年前になるのでしょうか。生家の土蔵の小ささに驚いたものでした。
産業医大は魅力ある大学院教育の予算があたったようで、その一環がこのシンポジウムなのでしょう。5人の講演者、わたくしを除いて4人のかた達の講演トピックスも広いし、面白く聞けたし、いろいろ勉強になりました。これくらいの時間なら最後まで気を緩めずに聞けるのでちょうどいいです。
呼んでくれたK教授、もう30年ぶりなのでしょうが、懇親会で色々はなしているうちに、昔とほとんどかわらない雰囲気が十分にあることに気がつきました。彼は岐阜とばかりおもっていたら、高校は一時彦根東とか。そうなら、一部滋賀県人です。道理で、中江藤樹のことはよく知っていました。
学長さんともいろいろお話しができました。産業医科大学はこれからたいへん期待のもてる人材が輩出する可能性が多々あるので、学内に一種の知的コンフリクトとがあってもいいはずだし、また産業医療の先進者としてのプライドと能力をぜひ持って欲しいとお願いしたものですが、十分にご理解願えたようでした。
懇親会は途中で退席して、帰路へ。短時間の訪問でしたが、有意義でした。ただ、若い大学院生と話しをする機会はありませんでした。ちょっと距離がありすぎるのかもしれません。
このブログは小倉駅の待合所でかきました。メールチェックもついでにしました。こういう時に限って大きなファイルを送ってくる人がラボにいますがしかたありません。

イタリアのサッカーチームが原発の放射能漏れを理由に来日を中止とか。
中国産の食べ物を一切食べなくなった日本人には文句をいえない中止理由でしょう。

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