夕刊で、この捏造論文のデータを出した学生が申立書を出したという記事を読みました。相当数の捏造データは認めたが、データ捏造時は心神喪失状態だったという。下村教授からはデータが汚いといわれ、直属上司の助手からはデータを出すことを急がされたのであり、データ捏造自体は幼稚なミスだと申し立てしてるそうだ。このような説明が通るとも思えないが、この論文の筆頭著者と責任著者の言い分が食い違うという事実は重要である。
このNature Medicineに発表された論文は相当数の研究室と研究者がかかわっており、内分泌代謝学の権威といわれている下村教授が責任著者であり、肥満、脂肪組織、インシュリンなどがキーワードなり、我が国の代表的な医学的な代謝研究者達の共同研究が生みだした大きなヒットという認識が一部にあったらしい。しかしこの論文の根幹となるはずの、あるはずの遺伝子改変マウスが存在しないという。データの捏造どころではない。論文は取り下げられたというが、事の重大性からみてそれで終わりになるはずのものでもない。
ひとつずつ判明する事実はいろいろな意味で驚きを通り越して怒りがわいてくる。
下村教授の責任は重い。
その理由は、責任著者であるということだけではない。そもそも研究者としてまだ資格があるかどうか分からない若者を筆頭著者にすえてこれだけの社会的インパクトのある論文を出すことには相当の「覚悟」が必要だったはずである。この方のホームページを見ると、「野心的な研究をしたい」とある。それは素晴らしい。しかし、野心はそれに伴う遂行能力(つまりこのようなことを起こさせない)を実現の為に必要とされる。
この論文が正しいと世の中で通ればその果実の大半は下村教授が受け取っていたはずだからである。間違っていたから知りませんでは通らない。いわんや被害者のような態度を取ってはいけない。
そもそも学生は学部学生だという。大学の学士の学位すら取ってないという。それなのにもう既に数報も原著論文があるという。これらの論文も大丈夫だろうか。これまでの多くの捏造事件は一度あれば大抵複数回あったのである。この学生は周囲では天才扱いだったのだろうか。そうだとしたら、なおさら周囲の教授などシニアーな研究者はそういう若者にありがちな「倫理面」での未熟さを持つ可能性を知っていなければならなかった。
わたくしは、教授などの研究室主宰者になるためには研究室内での捏造などの不正事件が起こらないように管理できる能力を持っていることが必須条件だと思う。
この学部学生は研究の世界では「未成年」と同じである。大学院生でもないとしたら、研究行為を行うとしたら未成年でもかなり若い方となる。周囲の指導者は保護者に近いつまり親のような役割をも演じなければならない。
若年者は功を急ぎ、焦りがちである、このようなことが起きたときに本来親権をもつ保護者的な教授達が知らぬふりをするか、責任逃れをするのなら本当に見苦しい。
真相を理解する前に即断は禁物と思いながらあえて一筆をしたためた。
ともあれ、捏造をしたこの学部学生がいかなる経過によってこのような捏造データや存在しない遺伝子改変マウスについてのデータを生み出せたのか、詳細な調査を大学は行い、公開する必要がある。時間はじゅうぶんにかけるべきである。こういう事件は1年くらい調査にかかってなんら不都合はない。調査が同一大学の同一研究科などであっては徹底的なものにはなりにくい。わたくしが知ってるケースはことごとく外国人を含む極めて大がかりな調査委員会を作っている。この阪大のケースも特異なケースでもあり、関係研究室は我が国を代表するようなところでであり徹底的にやって欲しい。
また、このまだ長い人生の始まりにしか立っていない、明らかにある種の才能を有した、しかし科学と人生を甘く見ていた若者を、大学、関係研究者はぜひとも、教育的なおかつ人間的に扱い、更生させて欲しい。
わたくしは5月10日のブログで以下のように述べました。この考えはこの捏造事件に当てはまります。
データの改ざんや捏造は論外です。そんなことがラボ内でおこりだせば、腐敗はラボの深層に達するでしょう。
もしも公表論文で困った事態が起きても、正直にしかも上手に説明すれば、たとえしばらくは世間の不信や怒りを引き起こしても、そのうち許されるはずです。正直に勝る、説明はない、というのが科学をやるうえでの鉄則かと思えます。一方で、科学論文の公表で過ちを起こしたときに、最大の誠意をもって事に当たり、正直な事実開示で示す、これが組織内部と周囲をしっかりさせる唯一の方法だと思うのです。
深夜12時を過ぎてから書きだしたので一日に二回ブログを書いた気持ちです。
追記:最初に書いたブログがすこし舌足らずなところがあり、後でなおしました。