妻が娘家族と一緒に東京にいきましたので、朝出かけるまでいつもよりやることがたくさんあります。朝食の準備も当然ですが、水やり、猫の食べ物、トイレ、その他です。
今朝も雨でありがたいことです。気持的にのんびりします。ゆっくりと新聞がよめます。それに昨日はおもいきり蚊に二カ所刺されましたので、そういう痒い体験もしないですみます。
世の中には非常に不条理な事がいろいろあるものですが、そういうことを何才くらいで分かるのがよいのか、そのあたりわたくしにはわかりません。先生の理由のはっきりしない、えこひいきみたいなものもあります。大人になると、父兄が贈り物をしていたのだと、わかったりすることがわかって、不条理でもなんでもない理屈がわかったりするのですが。
高校野球の決勝、審判がストライクかボールで問題判定があったようです。あまりの事に捕手が監督の顔をうかがうように見てしまったとか。きょういった理髪でのご主人は、あれはひどかった、審判がなにをおもったか野球を「つくってしまった」とか表現してました。見る人がみればまったくおかしな判定があの逆転劇の時に三球もあれば、たしかにドラマはいくらでも作れるでしょう。
負けた広陵高校の監督は大人ですから、怒れても、高校生はどのように、この不条理さを受け入れるか、難しいでしょう。
研究の世界でも不条理な事はよくおきます。往々にして優れた研究成果をあげたときに、おきやすいものです。論文がいろいろケチをつけられてなかなかとおらないとか、それでもとおればいいのですが、とおらない上に、どこかの雑誌で似たような論文が出てしまうということです。論文のレフェリーがそのような情報をしったことを元に競争相手を陥れるような不正なことをしてもなかなかわかるものではありません。論文内容が「盗まれてしまう」ということはよくあるのです。
しかし、盗まれたとわかれば不条理でもなんでもないのですが、理由がわからずにいつのまにやら、どこか別のグループがやってしまったことになってしまう、ということです。自分たちが最初とおもっていたら、はっと気がついたら、そうではなかった、こういうことです。
こちらは何も知らず、相手は答えの分かった実験を追試するようなものですから、迅速ですし、違った実験も混ぜられるので、独立にやったように見せかけることも容易です。
ですから、盗まれたのかも知れないし、完全に独立にやったのかもしれない、どちらか分からない、相手のほうがはるかに著名な研究室ならば、内情が知られない限り、それで科学の歴史はすすむわけです。
こういう類のことは、残念ながら稀ではなく、頻繁におこっています。ただ、証拠がないのでほとんど表にでてきません。現にやったポスドクや院生もボスのアイデアがどこからきたかわかるもおではありません。わたくしも、かれは怪しいと、思っている研究者をかなりの数知ってますが、決定的証拠をつかむということはそれほどありません。でも研究者としての長い経歴で、なんどか相手側の人物のだれかがあまりにも酷いとおもったのか、こういう酷いことをあの連中はやっていたのだと、教えてくれたことがあります。しかしそういうことは例外的なことです。
わたくしは、加害者よりも被害者でいる方がいいとおもっています。悪意で人をみるよりはできたら善意でひとをみたいとおもいます。
でも最近では記憶力がとみに悪くなったので、怪しいと目した人物の額に「盗」とい字が印としてあるように人物の顔を覚えるようにしています。悪趣味ですが、これは一種の自己防衛です。つきあううえで、みずから用心するためです。たとえば、ある人物と研究上の話しをするのなら最大級の用心が必要とか信頼出来る人に聞けば、記憶する必要があります。研究がちかければつきあうことは必須ですから、口をきかないわけにはいきません。
額に罪と記してある人物達は、盗よりワンランク重い悪事をしている可能性があるのです。あまり趣味がよくないですが、そういうふうに人を記憶するとつきあいが楽になります。あくまでも決定的な証拠がないのですから、仮想の印です。額の印がますます鮮明にピカピカするような人物達もいるし、つきあううちに悪い噂だけだったか、とおもった人達もいます。
かつては外人しか、盗とか罪とか額に印があるように記憶した顔がなかったのですが、最近は日本人もだんだん増えてきます。