大浴場、朝青龍事件の行く末、狂言回しの医師達への不信

今回初めて泊まったホテルD、総合的にかなりいいほうでした。部屋はひろいし、静か、ただパークアベニューというかなり寂れてしまった界隈ですから、リゾート観光客はまったくいないし、朝起きて食事にいったら、50過ぎのおじさんだけが客でした。料金もすごく安い。例の悪辣東京D、GMホテルよりはるかにいいです。
最上階は大浴場で久しぶりにホテルの大きな風呂に朝入ってのんびりしました。考えてみると、むかしはほんとによくホテルの大浴場にいったものでした。研究会はたいてい深夜まで飲んで、あと風呂にはいったものです。裸のつきあいではないですが、そんな風にして毎年のサイクルがあったものです。研究班、班会議、飲酒、本音の語り合い、大浴場、これが定番でした。しかし、いまはわたくしはどこからも班に入れてもらえません。班員研究者の市民権がなくなったのうです。
わたくしが班に入ると研究費が当たらないと、はっきりいいにわざわざおいでになった方までおりました。そういうわけで、大浴場とは縁が遠くなりました。
そんなことを他に誰もいない大浴場でぼんやりかんがえました。そしてその後で、朝暑い日射しを避けながら、30分程あるきました。

きょうも一日、グループの研究の仕事の話し合いです。今回は懸案のこともいくつかあり、ずいぶん綿密な話し合いをしました。それに9月末から2週間ヨーロッパに行きますので、しばらくはこちらにも来れなくなります。でも、だいたい決着をつけるというか十分な話し合いができたとおもいます。必要になったら、京都にきてもらいましょう。

昨日夜、インド料理を食べたあと、ホテルに戻って、報道番組で飛行機内での朝青龍の姿を画面で見ていました。相撲の最強者とはいえ26才、まだまだ若いです。しかしだからというか、だからこそ、というかわたくしが彼を見る目はわれながらすごくきついです。それと同時にこの「事件」の狂言回しを買って出ている医師達に強い不信を感じます。一方で、親方がいちばん悪い、という他の親方のコメントには賛成ですが。

朝青龍の姿は、ふてくされの仮病なのか、それとも本当の人権問題になるような深刻な精神の病なのか。前者だとすると、さすが悪役横綱の面目躍如で、またまた強い姿を何ヶ月後かに見られるでしょう。しかし、そうなら、道徳的にも彼のふるまいは酷いものだし、医師の診断は噴飯ものになってしまいます。
後者ならどうか。サッカーで心の底からずる休みを楽しんでいた相撲最強者が叱責、処罰されたら、一瞬にして人格が崩壊、精神的にペシャンコになってしまって、腑抜けのような生活を送っている。この後者が医師の見立てで、これに抗弁をすることは相撲理事会では出来ないので、医師がいうところの人権問題にならないように、モンゴルに帰したわけです。そうしたら、モンゴルの軍隊と警察が朝青龍の護衛を買って出て、いまやある種の戦争状態がモンゴルの治安部隊と日本のマスコミのあいだにあるようです。ちょっとおおげさかな。
日本のマスコミはかなり前者の可能性を疑っているし、わたくしも含めて、日本国民の相当多くもそれに近いでしょう。なんの挨拶もなく、モンゴルに帰るのは許せない、こう思う日本人は多いでしょう。しかし、この包茎手術の専門医でもあり朝青龍の友人でもある医師を筆頭に、後者と断定する医師たちが占めている以上、医師達のいうことをたてざるをえません。しかし、この医師達は自分たちが演じている役割が、相撲の歴史での役割がわかっているのでしょうか。

もしも、最強の歴史に残る相撲横綱がそんな簡単にペシャンコになってしまうという「真理」を医師達が保証してしまうということは、相撲愛好家の一人(わたくし昔はかなりの愛好家でした)として許せない、と思うのです。ですから、わたくしは嘘でもいいから、朝青龍は「最強の悪漢横綱」として名を残してほしかったのですが、いまやその可能性もなくなった感があります。ペシャンコ腑抜けになる原因がそんなことなら、いったい最強の横綱の存在意義は?あの綱はなんのために張ってるのか。

この「事件」がどう終わるのか。わたくしは、かなり悲観的です。

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