雑草の伸びるスピードが遅くなったので、雑草取りもだんだん「克服感」を持つことができます。しかし、12月の末までそれなりに伸びますから、これで終わりというわけにはいきません。
早朝2時間の仕事で気になっていたペーパーワークを済ませましたので、朝食後は気分良く畑仕事というか雑草取りをして、昼前にはおいでになった来客のお相手。
わたくしは自民党というのは、等身大の日本人の政党と思っていました。その良さは言うまでもなく、愚かさ、ずるさ、狡猾さ、などもろもろすべて含めて多くの日本人の等身大像を示してきたと思いました。しかし、今回の安倍首相の辞任劇は、安倍首相が平均の日本人の一歩先を行っていたような怖さを感じています。つまり、彼が弱いとか優しいとか無責任とか鬱病じゃないかなど、巷間言われていることはこれからの日本人の平均的リーダー像になるのかな、とおもいました。
総裁選は結果もでたようだし、同じ話なので飽きましたから、インプットはなしです。
ただ、安倍首相(まだ首相のはず)の病状というか、ほんとにどんな病気だったのか、「真相」を知りたいきはあります。国民にすみませんのひと言もないし、野党の代表質問者にすみませんもないし、いまの日本人の一般社会ではこれでは顔をだして道路を歩けない状況でしょう。
このあいだあった、京都のある人達のあつまりでは、出席者の大半が「首相が切れてしまう」とはどういうことなのか、と言っておられたことが印象深かったでした。
巷間そのような解釈が定着しているし、辞める理由がぜんぶ他人のせいにしていることもたいへん問題との指摘もありました。
このあたりも含めて、首相は平均の日本人の一歩先を行ってるのかもしれません。
それとも、これまでもあまりかわりなかったのに、首相を守るような、つまり小泉首相なら飯島秘書官のようなかた達がいて守っていただけなのかもしれません。そうだとすると、リーダーを守らない社会になってきた、その予兆的現象なのかもしれません。
結局、どういうお話しで落ち着くのでしょうか。人の噂も75日ですから、それまでは首相は病気でありつづけるのでしょうか。
そういえば、昼過ぎに見たたかじんの委員会で小田晋博士が、朝青龍はたんにふてくされているだけでしょう、と言い切っていたのを聞いて、おっ、専門家も同じことをいってくれる、と嬉しくなりました。朝青龍ががきのように、親に激しく叱責されて、ふてくされまくっている、とはわたくしの印象だったのですが、専門家の一人がそういうのを聞いて、それまでの4人の医者はなんだったのか、とまたまた思いました。
昨日の朝日新聞の朝刊に元大阪が大学学長の岸本忠三さんが、中村さんとい記者のインタビューに答えてました。関西の医学界危機では、という問いかけに、世界に通じる業績は、圧倒的に西です。と答える大きな見出しが出ていました。
言ってることの多くは、その通りの面もあるのですが、読後感は索漠としたものでした。つまり今さらのタイミングしかも西の重鎮が、西の方が生命科学は優位だなどと言ってなんの意味があるのだろうか、という疑問です。
もちろん岸本さんの全体のトーンは警鐘を鳴らしている発言なのでして、このままでは日本の大学での研究は駄目になる、というものです。
しかし、岸本さんは阪大の学長を長年やってたのではないでしょうか。
それから、たしか政府の科学技術政策のトップの委員会メンバーも長年おやりになったのではないでしょうか。
そういうかたが今さら職を去った後で、そういうことを言われても、と思います。現役の時にそういうことを言ったらずいぶん違ったのに、とおもいます。
そもそも成功した医学者は大学の学長になって、政府の要職につく、という路線をわたくしは完全否定はしませんが、あまりよい姿とはおもっていません。なんで好きな研究の前線をはなれるというのか、前線とは異なる職につくのだろう、という素朴な疑問をもっています。
京都では、岸本学長はnatureに論文をだしたら、月給をあげてやりたい、といったとかいういう噂が流れてました。わたくしは、岸本さんは非常に純粋な学問好きであるので、そういうことは言うはずがないと、信じませんでしたが、巷間の平均的学長が教授を励ましたり懐柔するのに、目先の研究成果をいちばん大切にするという傾向は、岸本さんが学長をしている時代からずっと続いているとわたくしは思います。
ノーベル賞などについても発言しておられますが、人は石垣、人は城という言葉が最後にくるのは、わたくしには、まったく意味不明でした。わたくしは、こういう言葉は研究者にはまったくむかないものだとおもっていました。インタビュー記事ですから、ご本人の意図がどこまで、正確に反映されているかは疑問ですが。
夕方になると、激しい雨です。ちょうどその時間には、きれいにさっぱり片付いて、これで妻の友人達にいい状態でお見せできるでしょう。