敬老の日、老年科の医療

きょうは敬老の日ですか。9月の第3月曜日と決まっているのだそうです。老人の定義ははっきりしないようですね。60才というのと65才というのと両方あるようです。わたくしはどちらでも老人ですから、老人にはまちがいありません。しかし敬老の対象になっているとも、またなりたいともおもいません。かならず三連休になるので第二のゴールデンウイークとか、いう人達もいるようです。しかし、この三連休を利用しようとする平素は働いている65才以上の老人はそうはいませんから、結局は便乗でしょうね。かつて敬老の日などまったく意識に昇ったこともないので、きょうは坂本の家ですごしていますが、普通に働いて、普通に朝ご飯、昼ご飯をたべています。

わたくしは京大病院では老年科で糖尿病を診察してもらってます。ここの医師のKさんがかつての研究室のメンバーですが、さすがに彼を主治医にするのはおたがいにうっとおしいですから、A先生に担当してもらっています。
老年科のスペシャルはなにか、といっても年取ったら、いろんな病気になりますから、なんでも対象になるのでしょう。成人病というくくりもあるのかもしれませんが、それではあまりに守備範囲が広すぎるのかもしれません。やはり老化というものを対象とする医療が大切なのでしょう。
それでアンチエージング(つまり抗老化ですか)なるものをスローガンのひとつにしてるようです。Kさんに講義してもらいましたが、十分には頭にはいっていません。
病気なのか、生理的現象なのか、しわが顔にできるのは年取れば生理的にあたりまえなのでしょうが、しかしうんと若けいのにしわがたくさんできれば病気なのでしょう。年取って毛がぬけるのは、しかたないとして、若いときに抜ければ病気としてあつかってくれるでしょう。

結局は薬がでてくれば、そのような医療は存在するということになる、というのがKさんの意見のようです。抜け毛を直す薬があれば、毛についての、アンチエージング医療も実質性がでるのでしょう。しわが、つやつやになるような薬とか対症手段があれば、これも医療が存在しうるということなのでしょうか。
つまり、老化というばくぜんとした医療の守備範囲が、薬や対症方法がでてくれば、はっきりしてくる、なんとなく分かるような気もします。
しかし老化というものが、その学問的重要性ははっきりしていますが、医療としては、どうくくられるのか、はっきりしないのです。
老年科の患者さんはやはりわたくしとおなじくらいかもっと上のひとばかりです。若年性の老化症のようなかたには会ったことはありません。いても気がつかないのかもしれませんが。
待合いの雰囲気は暗くないです。もう老年科のごやっかいになるくらいの年齢までいきのびているのですし、そう深刻ではありえないでしょう。
順番を待っていると、診察室から患者さんの大声の笑い声など聞こえくることがあります。めずらしい、ことです。京大病院では。

タイトルとURLをコピーしました